古代のことがらを学ぶことによって、現代の指針とすることができるのではないかと思っています。

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前回の記事では長野県、諏訪の御柱祭(おんばしらさい)についての記事を書き、途中になっていましたが、その後「つづき」と書いたにもかかわらず、だいぶ時間がたってしまいました。

皆さんのほうでももう忘れてしまっているかもしれませんが、一応はそのつづきということで、まだ書いていなかった自分なりの解釈、感想などを書いてみたいと思います。(もっとも、過去の記事「古事記の創世神話」などを読んでくださっている方にはなんとなくお分かりかもしれませんが・・・)

以下は御柱祭と縄文(じょうもん)人の歴史について述べているところを私が動画から抜粋したものですが、それによるとこの祭りの歴史は相当古く、最後の氷河期直後の時代にまでさかのぼる可能性がありそうです。



・・・・・・御柱祭はいつ、何のために始まったのか。

鎌倉時代に柱を立てていた記録はあるが、それ以前の歴史はなぞである。

しかし日本列島各地の縄文遺跡で、巨木の祭りの痕跡が見つかっている。

北陸で発掘された2700年前の木。

御柱と同じく綱に使う植物を通したとみられる穴がみつかっている。

巨木への祈りが生まれたと考えられる縄文時代。

15000年前から10000年以上にわたり、日本列島各地でつづいた。


縄文人の主食はトチ。栗。 

落葉広葉樹の森から、木の実を集めた。

冬も狩猟のため森へ。

獣の毛皮をはぎ、肉は干して保存食にした。

森は生きるための全てを与えてくれた。


諏訪でみつかった縄文遺跡は900近く。これほどまとまって密集している遺跡は他にはない。

諏訪湖を中心に縄文人の集落が広がっており、当時は森と湖に恵まれた楽園だった。

諏訪は5000年の歴史

諏訪の縄文遺跡
 諏訪湖周辺の縄文遺跡。 ( 写真はこちらよりお借りしました )


(以下はまとめ)

◎諏訪は縄文文化圏の一大中心地だった。・・・その証拠に、諏訪で取れた黒曜石が東日本の各地や東北のほうでも発見され、広い範囲に広がっていたことが分かった。

◎諏訪の人たちは、黒曜石を取引することで豊かな生活をしていたらしい。

黒曜石2
       黒曜石 
             
  黒曜石3
         
黒曜石は割ると鋭利な角を持つため、狩りのための矢尻などに使われた。


◎後の時代に大陸から弥生(やよい)の民が来て水田稲作の技術をもちこみ、西日本から順に日本中に広がったが、諏訪の縄文人は最後まで水田稲作を拒んでいた。

◎だが、最後には縄文の神も弥生の神(征服者のことだと思われる)に負け、稲作を受け入れたが、弥生の神のもと、幸いにも御柱祭だけは生き残った。



前回の続きで、その後の御柱祭の流れ(上社と下社に分かれているのでここでは上社の場合)を書き出してみようと思います。

なぜなら、御柱祭といえば柱が坂を勢いよく落ちることで有名ですが、他の部分も含め、初めから終わりまでの祭りのストーリー全体がとても興味深いからです。 



諏訪大社上社 里曳き(さとびき)

川越しを終わった8本の御柱は、安国寺の御柱屋敷(上6の地点)に曳き揃えられ、
5月の里曳きまで安置されます。(前記事はここまで)

そして山出しから一カ月。
晴れの舞台を待っていた御柱に、
いよいよ華やかな里曳きの時がやってきます。

里曳きは華やかな祭典絵巻のような祭りです。御柱屋敷を出た御柱は、大勢の氏子と見物客の中を、各社に向かってゆっくりと優雅に進みます。

marker_kamisha_s1_photo.jpg 



「お舟」御輿(みこし)が、御柱を迎える

里曳きの1日目は、御柱屋敷を御柱が出発する時を同じくして、本宮からは宮司や、「お舟」と呼ばれる御輿を担いだ白丁姿の山作り衆らが行列をつくって御柱を迎えに出発します。

先頭の本宮一之御柱は、迎えの一行に続いて本宮を目指します。



(私が始めて見た時に驚いたのはここ!・・・・・・どうして「舟」が出てくるのでしょう?
長野県の、それも諏訪といえば山に囲まれた場所で舟とは無縁のはず・・・(諏訪湖をのぞけば)。

現地の方々はこれについてどういう風に捉えているのでしょうか。
私はといえば、これはノアの方舟(はこぶね)を表わしているのではないかと思ってしまいました。) 



めどでこが外され、建御柱((たておんばしら)の儀

御柱を各神社の境内に建てることを「建御柱」といいます。

前宮・本宮(それぞれ下図の上7、上8と書いた地点)に曳きつけられた御柱はめどでこを外し、柱の先端を三角錐状に切り落とす「冠落し」を行って威儀を正します。

(こうして上1の地点から出発した上社の御柱は、それぞれの地点での祭りを終えながらほぼ同じ方向に移動し、最終地点に落ち着くわけです。)

曳行マップ


冠落しが終わった御柱にワイヤーやロープを付け、掛け声に合わせて車地(しゃち)が巻かれると御柱はゆっくりと立ち上がります。

             御柱祭 上社 里曳き


御柱の先端に乗る氏子の手によって長さ1.5mの大御幣が打ち付けられます
この時、奥山のモミの大木はまさしく神となります

翌日には、御柱の根元を大木槌で叩いて固める御柱固祭。

こうして仮見立てから2年、山出しから2ヶ月におよぶ上社の御柱祭は宝殿遷座祭を経て厳粛に終わりを告げることになります。


    めどでこが外され、建御柱の儀


(以上、 諏訪大社上社 里曳き より)
                                       ~(その3へつづく)~


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先日、NHKで長野の諏訪で7年目ごとに行われている「御柱祭(おんばしらさい)」の番組の再放送をやっていました。

この急坂から柱を落とす奇妙なお祭りについては、以前「古事記」のカテゴリーで「心御柱(しんのみはしら)」について書いたときから気にはなっていたのですが、詳しくは知らなかったのでそのままにしていました。

しかし、今回その古い歴史について知るとともに、そのお祭りにかける諏訪の人々の熱い思いと、今だに受け継がれている「柱」に対する人々の信仰心に感銘を受けたので、私なりに感じたことを書いてみようと思います。

(これを見逃した方は、NHKのオンデマンドで購入すれば1番組210円くらいで見れます。とてもよく出来た番組なので、興味のある方はぜひ見てみてほしいと思います。)
               ↓

NHKスペシャル 古代史ミステリー「”御柱”~最後の”縄文王国”の謎~」 (49分)

この番組はこういうナレーションで始まります。

~7年目ごとに行われる長野県・諏訪の御柱祭(おんばしらさい)。

これほどの規模の巨木の祭りは、日本のどこにもなく、世界でも例がない。

なぜ諏訪にだけ、この神秘の祭りが、受け継がれているのか?

御柱(おんばしら)とはなんなのか?

その謎をとく手がかりが、次々にみつかった。

はるか1万年前、森の中で育まれた縄文人の祈り。そして、古代の神々の争いと融和の物語。

聖なる年の熱狂の中に潜む、古代史のミステリーに迫る。





(以下は番組のナレーションより抜粋)

祭りの1年前

御柱に使うもみの木を切り出す。

樹齢は200年近い。天を突くようにまっすぐ立っていることが、御柱の条件となる。


諏訪大社は諏訪湖をはさんで上社(かみしゃ)、下社(しもしゃ)合わせて4つの社(やしろ)があるが、すべての社の聖域は、4本の柱で囲まれている。

御柱祭とは、その柱すべて(16本)を7年目ごとに建て替える儀式である。

それは、巨木に宿る「神の力」を蘇らせるためだという。


諏訪にはこれ以外にもたくさんの御柱があり、大小の柱を合わせると、数千本とも言われている。

御柱の中でもっとも太い、上社本宮1の柱は長さ18メートル、重さ10トン。

これに御弊持ち(ごへいもち)と呼ばれる人が祭りの間中乗ることになるが、御弊(ごへい)には神が宿ると言われ、最後まで御柱を守る。


最初の日はスタート地点から、8キロ先の木落とし場まで行く。御柱を引く綱の長さは200メートル。

この綱を3000を超える人々が力を合わせ、一本の巨木を引いていく。

かつて諏訪の人々は、7年目の聖なる年には結婚も、葬式も、家を建てることも控えたという。

そして全てを、祭りに捧げた




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以下は、 諏訪大社 御柱祭 のサイトより、上社の8本の御柱の主な行程を順を追って書き出したものです。


諏訪大社上社 山出し

①日目   出発地点 (上1と書かれたところ)から~
出発地点の綱置場から御柱に綱をつけ、「木落とし」の場所まで人力だけで地面を引きずって運びます。

曳行マップ

4月初めの3日間をかけて、約20kmにおよぶ御柱街道の山出し。
綱置場から、本宮一之御柱をはじめ8本の御柱がいよいよ動きだします。

あみ置き場

途中で「穴山の大曲」と呼ばれる90度の角度をもつ難所を力を合わせて曲がる。(上2の地点)

穴山の大曲がり


②日目  「木落とし」

2日目の難所は、斜度27度の木落し。(上4の地点)

断崖上から御柱の先端が見えます。数万の大観衆を眼下にして「ここは木落しお願いだー」の木遣りのひと声が響き渡ります。
めどでこに大勢の若衆を乗せたまま、御柱は、土煙を上げながら一気に急坂を下ります。

木落とし



木落しを過ぎると、山出し最後の難所、宮川の 「川越し」 です。(上5の地点)

御柱を雪解け水で洗い清める意味があるといわれています。めどでこを左右に振りながら静かに水に入る柱、水しぶきも豪快に一気に落ちる柱、皆ずぶ濡れになりながら川を渡ります。


川越し


川越しを終えた(上社)8本の御柱は、安国寺の御柱屋敷に曳き揃えられ、一ヶ月後、5月の「里曳き」まで待つことになります。 (上6の地点) 


~つづく。

 
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ところで、前記事の

日本書紀によると、「初めは大王の宮殿の中で天照大神を祭っていたが、天照大神は霊威(れいい)が強く、不幸現象(どういうことかは不明)が起きたので、庭に天照大神用の宮殿を別に建ててそこに移した」と書いてあるそうです。

と書きましたが、その「不幸現象」とは何のことか気になったので調べてみると、日本書紀に書かれた大王とはどうやら第10代の崇神(すじん)天皇(187年頃ー230年頃)であるらしく、以下に引用してみると・・・


Wikipedia「崇神天皇(すじんてんのう)」より
             Emperor_Sujin_20140707133044475.jpg

年代は『日本書紀』の編年に従って便宜を図った。

開化天皇10年に産まれ、28年1月5日に立太子、60年4月9日の開化天皇崩御に伴い翌年即位。

崇神(すじん)天皇3年9月、三輪山西麓の瑞籬宮(みずかきのみや)に遷都。(せんと=都を移すこと)

       m-map_201407081529599e5.jpg
        纏向遺跡周辺地図 ( 橙色の線の内側がその範囲で、東側は三輪山 ) 

( 纒向(まきむく)遺跡で見つかった大型建物跡の一帯は、河川と人工水路で3方を囲まれていた可能性があることが桜井市教委などの分析で分かっており、“水の宮殿”を想起させる構造で、崇神天皇の宮殿である「瑞籬宮(みずかきのみや)」とイメージが一致するという。 )


崇神天皇5年、疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた

崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した


天照大神(あまてらすおおみかみ)を豊鍬入姫命((とよすきいりびめのみこと)に託し、笠縫邑(かさぬいむら=現在の檜原神社)に祀らせ、その後各地を移動したが、垂仁(すいにん)天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。  

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これによると、「不幸現象」とはどうやら崇仁天皇の治世に「疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた」ことを言っているようです。

また、宮中に祀られていたのは天照大神だけではなく、倭大国魂神(大和大国魂神)という神もおられたようで、これもついでに調べてみました。→倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)
より

倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)は、日本神話に登場する神である。日本大国魂神とも表記する。
大和神社(奈良県天理市)の祭神である。『日本書紀』の崇神天皇6年の条に登場する。

宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祭っていたが天皇は二神の神威の強さを畏れ、宮の外で祀ることにした。 
天照大神は豊鍬入姫命に託して大和の笠縫邑に祭った。


倭大国魂は渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)に預けて祭らせたが、髪が落ち、体が痩せて祀ることができなかった。
その後、大物主神(おおものぬしのかみ)を祭ることになる件が書かれている。

同年8月7日、臣下の夢の中に大物主神が現れ、「大田田根子命(おおたたねこ)を大物主神を祀る祭主とし、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祀る祭主とすれば、天下は平らぐ」と言った。 

同年11月13日、大田田根子を大物主神を祀る祭主に、長尾市を大国魂神を祀る祭主にした。


(参考)
大物主神(おおものぬしのかみ)・・・ 大物主は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち、稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。また国の守護神である一方で、祟りなす強力な神ともされている。なお、大国主の分霊であるため大黒天として祀られることも多い。

大国主神(おおくにぬしのかみ)と大物主神

『古事記』によれば、大国主神とともに国造りを行っていた少彦名神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光り輝く神様が現れて、大和国の三輪山に自分を祭るよう希望した。
大国主神が「どなたですか?」と聞くと「我は汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なり」と答えたという。

『日本書紀』の一書では大国主神の別名としており、大神(おおみわ)神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として祀ったとある。


                       image01-1_201407082241016ac.jpg

☆大国主神は現在も出雲大社で祀られている神であり、因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)の話などで有名。

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この時代の話でいいなあと思うところは、神の「霊威」を畏れたり、また臣下が見た夢の「お告げ」によって祭主を決めたりと、日本人の中に神を敬う謙虚な気持ちがまだ残っていたことです。

そのため、神のご意向を伺うことのできる巫女のような存在の役割もまた大きかったのではないでしょうか。

この時代は、中国の「魏志倭人伝」に書かれた邪馬台国の女王「卑弥呼(ひみこ)」の時代とも重なるため、発見された建物が「卑弥呼の宮殿なのではないか」という説もあるそうで、これからの発掘・調査の結果が楽しみです。





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先週の火曜日、6月24日の松原照子さんのブログ後半に、こんなことが書いてありました。

私の名前は照子
父が天照大神を私のために祀り、一字をいただいて付けてくれました。

今日はこの名前からか、神武天皇への思慕が募ります。
「日向」この名前も心にしみます。
今何気なく書いた地名ですが、遠いえにしをかけて私はあり 今日何気にこのことを書いています。

2~3世紀に存在した 邪馬台国。
「奈良の桜井に答がある」と理由なく書きたくなってしまいました


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さいごにあった「奈良の桜井」という言葉を聞いて、奈良県・桜井市の「纏向(まきむく)遺跡」のことについて思いだしたので、そのことについて書いてみようと思います。

昨年の12月、「世界・不思議発見!」で放送された番組の内容が面白かったので録画しておいたのですが、その内容を見て自分なりに興味のあるところをまとめてみました。

纏向(まきむく)遺跡について調べてみると、この周辺には多くの遺跡や古墳があり、また全国各地の土器が発掘されるなど、このあたり一帯が大きな文化圏だったようで、邪馬台国の有力な候補地として以前から注目されているのだそうです。

また、3世紀のはじめこの遺跡ができたころには、炊飯器の形は地方によって全部違っていたのだそうですが、この遺跡からは日本中のいろいろな形の炊飯器がみつかるのだとか。
そのことから、この辺りは今の東京のような政治・経済の中心地であったと考えられるといいます。

詳しくはこちら・・・纒向遺跡(まきむくいせき)(桜井市纏向学研究センターより)

         0706-17.jpg
          纏向遺跡のイメージ図


ここ纏向遺跡では2009年の発掘調査によって、3世紀前半としては国内最大の建物(南北19・2メートル、東西12・4メートル)を含む、少なくとも3つの建物跡がみつかっているようです。

また、この遺跡では、伊勢神宮の造りと同じ「棟持柱(むなもちばしら)」のある建物がみつかり、かつ、出雲大社と同じように壁の中央が柱になっている建物の両方がみつかったといいます。


           巻向遺跡

上の絵は建物跡から復元された模型のようですが、以下に伊勢神宮と出雲大社の造りについて簡単にまとめると、

出雲大社(本殿)

①ご祭神・・・大国主の大神(おおくにぬしのおおかみ)のための建物。住まい。
②造り・・・最も古い神社建築様式のひとつで、大社(たいしゃ)造りと言われ、特徴はてっぺんに勇ましくそそり立つ千木(ちぎ)である。屋根を取って建物の中を上から見ると、ほぼ正方形の古典的な日本家屋に近い「田の字」形であり、9本の柱で支えられている。

③特徴・・・正面の壁の中央に柱があるため、中央に入り口を造ることができない。そこで、向かって右側に入り口をつけてある。
             izumo20taisha-80.gif

izumo01_2016011210065449c.jpg
                           出雲大社
                

この、壁の正面が柱になっているところが、纏向遺跡でみつかった大型の建物跡と似ているそうです。 
なお、初めて気づいたのですが、伊勢神宮と同じように出雲大社にも中央に心御柱(しんのみはしら)があるのですね・・・。          


②伊勢神宮

①ご祭神・・・太陽を神格化した天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る皇大神宮(内宮)、と、衣食住の守り神である豊受大御神を(とようけのおおみかみ)祀る豊受大神宮(外宮)の二つがある。

②造り・・・伊勢神宮は日本最古の建築様式である「唯一神明造り(ゆいいつしんみょうづくり)」で造られている。
奥行きより幅が広い長方形の建物で、高床式倉庫(たかゆかしきそうこ)から発展し穀物の代わりに神宝を納めるように変化したものと考えられる。

③特徴・・・側面中央の、壁面より外側に飛び出し棟へ達する柱を棟持柱(むなもちばしら)と呼ぶ。棟持柱は通常太く、強度のある用材が用いられるが、構造上では強度にはあまり寄与しない。

社殿の中央には心の御柱(しんのみはしら)が配されるが、これも強度には寄与しない。



isejinnguu.jpg


出雲大社にしても伊勢神宮にしても、その構造を知ると中心にすえた「心御柱(しんのみはしら)」を祀るために立てられた建物であるかのような印象を受けるのですが、調べてみるとやはりその真意は謎めいていて、興味を惹かれます。


しんのみはしら【心御柱】
 (http://kotobank.jp/word/%E5%BF%83%E5%BE%A1%E6%9F%B1より)

伊勢両宮の神殿の床下中央に建てられた檜(ひのき)の掘立柱(ほったてばしら)をいう。

「正殿心柱」(皇太神宮儀式帳)といい,つまり社殿の中心に立つゆえの名(《古事記伝》)だが,別に社殿の実用的な支柱でなく,しかも神宮祭祀上きわめて清浄神秘を重んじられる柱として特に忌柱(いむはしら)とも称される。

20年ごとの式年遷宮に当たって,特別にその用材を伐採するための木本祭と,これを建てる心御柱祭とがいずれも夜間の秘儀として執行され,奉仕者も禰宜(ねぎ),大物忌(おおものいみ)など特定の神職に限られる。



              伊勢神宮 正殿
              伊勢神宮:「内宮正殿」
            (通常、正殿:神殿内部は写真を撮ったり、見ることはできないそうです。)


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ところで日本書紀によると、初めは大王の宮殿の中で天照大神を祭っていたが、天照大神は霊威(れいい)が強く、不幸現象(どういうことかは不明)が起きたので、

庭に宮殿を別に建てて、そこに天照大神の御魂代(みたましろ)を移した
と書いてある。

でも、それでも近すぎるので今度は伊勢に移したという話が書かれているのだそうです。

纏向遺跡で発見された建物跡から模型を復元した神戸大学の黒田龍二教授によると、今回の発見は②の「天照大神の宮殿は大王(だいおう)と同じ庭の中にあった」と書かれている日本書紀の記述と一致すると考えられるのだそうです。


(出雲大社型の建物が大王の宮殿で、棟持柱の建物が天照大神用の宮殿と考えられるということ)

☆大王・・・ 纒向遺跡は、初期ヤマト政権の首都と考えられている遺跡。
        大王とはその政権トップ(天皇)のことだそうです。


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古事記のところにまだ書き足りないことが残っていたので、その続きです。

今回、古事記のことを書くにあたって「民族宗教における柱の信仰と儀礼」という国学院大学の教授の資料を引用させていただいたのですが、この資料がとても感銘深く、そして今まで調べてきたことと一致するような内容も見受けられて興味深かったので、一部だけまた引用させていただきたいと思います。

この「柱」という概念が、古代世界のあちこちでいかに重要視(あるいは神聖視)されてきたのか、といった事柄が主なポイントです。

下に引用したのは、その重要な「柱」の象徴である心御柱(しんのみはしら)が、今も伊勢神宮の本殿の下で密かに祭られている、というお話です。

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・・・・・・縄文時代を代表する三内(さんない)丸山遺跡では、6本の巨大な柱を立てて西方のはるか彼方の山に沈む太陽を拝し、さらに柱を天と地を結ぶ架け橋としたことが推測されている。また日本では古来神格の名数として柱が用いられている。

三内丸山遺跡
    青森・三内丸山遺跡

青森市郊外の三内(さんない)丸山遺跡は1992年に広範囲の発掘調査がおこなわれ、長期にわたる大規模なムラの存在が確認されました。
なかでも注目を浴びたのは直径約1mもある6本の大型掘立柱の遺構です。これについては物見櫓(やぐら)説、神殿説などがありますが、暦研究からすると天測説が興味をひきます。

小林達雄氏によると、3本ずつ向き合う柱は南側が冬至の日没方向、北側が夏至の日昇方向を指し示しているといいます。また太陽がもっとも高くのぼる南中(真昼)のとき、木柱の影は真北に落ちますが、それが北側の柱間の真ん中にくるよう設定されていたと推測しています。 ( こよみの学校より引用
)

このハシラの語義に関しては「ハシ」は屋根と地のハシ(間)にある物の意、ラは助辞(『古事記伝』『雅言考』『大言海』)。
ハシラ(間等)の義(『言元梯』)。ハは永久の義、シラはシルシ(標)の義(『古史通』)とされている。

これを宗教的に敷衍すると、ハシラは上と下の間にあって両者を永久に結びつける標と考えることが出来る。

なお日本の民俗宗教では、柱は神霊の「依り代」とされており、このことが神格の名数を柱とする根拠となっているのである。


             HI3H0788_20140205232042f5d.jpg



・・・・・・なお『大和葛城宝山記(やまとかつらぎほうざんき)』では、上記の冒頭の天地開闢(かいびゃく)の記述の他に「水大の元始」の項で、高天の海原に生じた葦牙(あしかび)のような霊物から神聖(かみ)が化生し、天神、大梵天王(だいぼんてんのう)、尸棄大梵天王と名づけられた。

この霊物は天帝の御代には天の瓊矛(あまのぬぼこ)、金剛宝杵(こんごうほうしょ) 、と呼ばれ、神人の財とされた。

地神の御代には天の(あめ)の御量柱(みはかりばしら)、国の御量柱とされ、日本の国の中央に立てて、常住慈悲心王の柱、正覚正智の宝として心の御柱(しんのみはしら)と名づけられた。

なお 天地人民、東西南北、日月星辰、山川草木のすべては天の瓊矛の応変 ゆえ、不二平等である。そして葛城山の守護神の発起王が「心柱の三昧耶形(さんまやぎょう)は独鈷(とくこ)、すなわち金剛宝杵で独一法身の智剣である。

(☆三昧耶形とは、密教に於いて、仏を表す象徴物の事。)
(☆独鈷(とくこ)とは、密教で用いる仏具の一で、種々の金属・象牙などを主材料とし、中央に握り部分があり、両端がとがっている杵形(きねがた)の仏具。)


・・・・・・また「大八州、国の神の座処」の項では、この間のことを日の御子の伊弉諾尊(イザナギ)と月の御子の伊弉冉尊(イザナミ)が皇天の詔(みことのり)に従って天の瓊矛を山跡やまと(大和)の中央に立てて、国家の心柱として八尋殿(やひろでん)を造った。

さらに2神は真経津鏡ますみのかがみ(八咫鏡)を捧持して、日神、月神と化生して天下を治めたとしている。

そしてここで国家の心柱としているものは具体的には、伊勢神宮の内宮・外宮の本殿下にある心御柱(しんのみはしら)をさすとしている。

(以上引用。ふり仮名はところどころ筆者による)

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つまり、伊勢神宮をお祀りするということは、日本の国家だけでなく、世界とその中のすべてのものを支えている、、重要な「柱神」をお祀りすることにも通じると考えられるのではないでしょうか。




        izumo_2002_new_2016012800073434f.jpg

        (上の図はこちらより)
伊勢神宮と同じく「心御柱」と呼ばれる巨大な柱があった古代の出雲大社は48メートルもあり、今の15階建てのビルに匹敵する非常に高い木造建築物だったという。(こちら より引用 )




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1月の初め、江ノ島神社に行って茅の輪潜り(ちのわくぐり)をしてきました。

(わたしは神奈川県在住なので江ノ島に比較的近いのと、個人的に弁天様が好きだということもあって、よく江ノ島に遊びがてらお参りにいきます。江ノ島には見どころがたくさんあるのでけっこう一日楽しめます。)

茅の輪くぐりとは、神社で「大祓え(おおはらえ)」の行事のときに行われるものらしく、6月と12月の晦日(みそか)に、過ぎた半年間に積もった罪や穢れを除き去るためにするのだそうです。

で、その時にくぐる「茅の輪(ちのわ)」とは、大体下のようなものです。


      茅の輪 奈良 


で、これにはちゃんとした「くぐり方」があるそうなので、記しておきます。

茅の輪くぐりの作法(茅の輪のくぐり方)
http://www.shikinagayoshi-jinjya.org/ooharai.htmlより引用

              039_201401182148098ef.gif

茅の輪の前に立ち、軽く礼をして

左足よりまたいで左まわりに1廻り。

次に右足よりまたいで右まわり。

また左足よりまたいで左まわりと、八の宇を書くように三度くぐり抜け
、ご神前へを進みお詣りします。


(この図を見ると、なんだか永遠を表わす記号「∞ 」みたいですね。)

で、「・・・この儀式の意味はなんなのだろう?」と興味を持ちましたが、その訳は、

古事記の創世神話 その4 で、「イザナギとイザナギが沼矛をかき回した後、オノコロ島に下りて

男神は左から、女神は右からまわって『ミトノマグワイ』をして日本の国々、山川草木、神々を生んだ」とあったからです。(しかも、女から先に声をかけて回ったら失敗し、男の方から先に声をかけて回ったら「まぐわい」に成功したとあります。)


ネットで調べてみると、神道の清めやお祓いには
左→右→左という順番が存在するのだそう。


例えば、

(1) 神社を参拝する前に左→右→左の順番に手を洗う。
(2) 清めの塩を左→右→左の順番にまく。
(3) 神職が大麻(おおぬさ)を左→右→左の順番に振る。
(4) 切麻(きりぬさ)を左→右→左の順番に体にかける。

のように。なぜか必ず「左」が先なのですね。

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一方、出雲大社といえば、なんといってもその大きな注連縄(しめなわ)が特徴ですが・・・・
   
無題
一度訪れたときから、この「注連縄(しめなわ)とはいったい何の象徴なのだろう?」ってことが気になってました。


そこで、Wiki(注連縄)で調べてみたら、興味深いことが分かりました。
(Wikipediaというと、地味な解説が多いという印象ですが、意外と面白い発見があるのです。)
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巻き方・注連方(しめかた)

縄を綯(な)う=「編む」向きにより、左綯え(ひだりなえ)と右綯えの2通りがある。

左綯えは時計回り に綯い、右綯えは逆で、藁束を星々が北極星を周るのと同じ回転方向(反時計回り)で螺旋状に撚り合わせて糸の象形を作る。

左綯え(ひだりなえ)は、天上にある太陽の巡行で、火(男性)を表し、
右綯えは反時計廻りで、太陽の巡行に逆行し、水(女性)を表している。
 

祀る神様により男性・女性がいて、なう方向を使い分ける場合がある。


大きなしめ縄は、細い縄を反時計回り(又は逆)にまわしながらしめ、それを時計回り(又は逆)に一緒にしていく。

なお、出雲大社など島根県では一般とは逆に左から綯い始めるものが多いそうです。
(一説によると、出雲大社で祀られている大国主神は男神だからだそうです)

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上記の文を読んでいたら、なんだか天体の「右回り」と「左回り」を調べたくなったので、調べてみました。

(自転)

地球も太陽も反時計回りで同じ方向に自転しています。月も同じで反時計回り
(ちなみに月は公転周期と自転周期が同じで、いつも同じ面を地球に向けている。)

(公転)

地球を含め、他の惑星達も太陽の周りを反時計周りに公転している

地球の衛星である月は、地球の周りをやはり反時計周りに公転している
http://image.search.yahoo.co.jp/search?p=%E6%9C%88%E3%81%AE%E8%87%AA%E8%BB%A2%E6%96%B9%E5%90%91&aq=-1&oq=&ei=UTF-8#mode%3Ddetail%26index%3D1%26st%3D0

zitenkoten_20140120134722a62.jpg


    
そして、太陽系全体も・・・この動画が正しいのだとすると、反時計周りだ。

 (この動画、以前に貼った動画の修正バージョンみたいです。→ 13000年周期の謎と、宇宙の螺旋(らせん)  )


The helical model - our Galaxy is a vortex


ということは、太陽系の衛星・惑星・恒星の運動はほぼすべて「反時計回り」だということでいいのだろうか?(金星だけは自転が反対に時計回りなのだそう。)


 「右綯えは反時計廻り」なので、天体の運動は「右綯え(女性)」ってことだ。(つまり陰陽でいえば「陰」のえネルギー。)








・・・・・「で、それが分かったからってなんなの?」
 

と聞かれても困りますが(笑)、とりあえず貼っておきます。



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ちなみに、葦牙(あしかび)とはどんなものかと思って調べてみたら、葦(あし)の芽であることが分かりました。

「葦」というのは、ご存知のように水辺の植物で、このように非常に丈が高く、丈夫でまっすぐ天に伸びるものです。(高いもので2、3メートルくらいはありそう)

             HI3H0755.jpg



そして、そんな葦の芽である葦牙(あしかび)とは・・・
    


                 HI3H0764.jpg

こんなにちっちゃくてかわいいのです。(ちなみに、葦の芽は尖っているので、葦角(あしづの)ともいうそうです。
やっぱり、「葦牙」と書くだけあって、動物の「牙」みたいですね。



それが、もう少しだけ成長すると・・・こんな感じに伸びていきます。

                   HI3H0777.jpg



そして、日本書紀では「ほの黒い中に「牙(きざし)」があらわれ、清く明るいものがたなびいて・・・」とあるので、
もしかするとこの兆し、じゃなくて牙(きざし)とは物質ではなく、こういう感じのものだったのかもしれませんね。








        Juha-Vehmas-IMG_1155_1389808017_lg.jpg
          (こちらの記事より Realtime Image Gallery の写真をお借りしました。)
          フィンランドのピルッカラで 2014年 1月 14日に撮影されたものだそうです。



前ページの引用文で「葦牙(あしかび)のように萌えあがるものがあらわれ、そこから宇麻志阿斯訶備比古遲神(うましあしかびひこじのかみ)、天之常立神(あめのとこたちのかみ)の独神が現れて姿を隠したとしている。」と訳されていましたので、

宇麻志阿斯訶備比古遲神」(うましあしかびひこじのかみ)についてさらに調べると、この名前は

「宇麻志(うまし)」「阿斯訶備(あしかび)」「比古遲神(ひこじのかみ)」とみっつの部分に分かれるようで、宇麻志(うまし)というのは霊妙な、また阿斯訶備(あしかび)は葦牙(あしかび)で、比古遲神(ひこじのかみ)は男性の神の意味があるようです。

つまり、「霊妙な葦牙(あしかび)の男神」、といった感じでしょうか。


この部分、詳しくはこう書いてあるようです:

・・・次に国稚(くにわか)くして、浮かべる脂(あぶら)の如くして水母(くらげ)なす漂(ただよ)える時に、葦牙(あしかび)のごと萌え謄(あが)る物に因りて成りませる神の名(みな)は、宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神。
次に天(あめ)の常立(とこたち)の神。この二柱の神もみな独神(ひとりがみ)に成りまして、身(み)を隠(かく)したまひき。

宇麻志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)の神と、天(あめ)の常立(とこたち)の神は独りの神になったと。

天之常立神(あめのとこたちのかみ)という漢字の中に含まれている意味を考えてみると、「天の常に立つ神」。

つまり、葦の芽のようなものから始まった神は、常に立って天地万物を支える立派な男神(柱)へと成長したのではないでしょうか。



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さて、「古事記の創世神話 その3」のつづきですが、私の手元にある「古事記 神話を旅する」のあらすじにはこうなっています。

天(あめ)と地(つち)がはじめて姿を見せたそのとき、高天原(たかまのはら)に「造化三神(ぞうけさんしん)」と呼ばれる三柱の独り神(アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カムムスヒ)が生まれた。 

また、大地が固まっていない下界では、泥の中から、人間の祖先神だと思われる「立派な葦の芽の男神」ウマシアシカビヒコジが誕生した。

その後も、次々と神が成り出て、最後に現れたのは、男女の神であるイザナギとイザナミであった。
高天原の神々は、そのイザナギとイザナミに「(まだ固まらずに)漂っているこの地(くに)をまとめよ」と命じた。

2神は、高天原の「天の浮橋(あめのうきはし)」に立ち、神から授かった「天の沼矛(あめのぬぼこ)」を下ろし、「コヲロコヲロ」とかき混ぜた。

すると、矛の先から滴(しずく)が落ち、潮がだんだんと重なって、お能碁呂(オノコロ)島が誕生した。

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前回はここまでだったと思います。で、その続きです。

そこでイザナギとイザナミは、オノコロ島に降り立ち、世界の中心を象徴する「天の御柱(あめのみはしら)」の周りを巡り、夫婦の契りを結んだのである。
              
              0919-50.jpg


「吾ト汝ト、コノ天ノ御柱ヲ行キ廻リ逢ヒテ、美斗能麻具波比(みとのまぐはひ)セム。」 

[訳] 「わたしとおまえとが、この天の御柱を行き巡り、逢ったところで、まぐわおうぞ。」
                      
                                       (邪那岐命)



こういうお話もロマンチックで私は好きなのですが、この辺の描写についてより詳しいものはないかと探したところ、以下の研究が詳しいと思ったので、一部引用させていただきました。

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「民俗宗教における柱の信仰と儀礼」
http://www2.kokugakuin.ac.jp/frontier/publication/bulletin1_10.pdf#search='%E6%B0%91%E4%BF%97%E5%AE%97%E6%95%99%E3%81%AB%E3%81%8A%E3%81%91%E3%82%8B%E6%9F%B1%E3%81%AE%E4%BF%A1%E4%BB%B0%E3%81%A8%E5%84%80%E7%A4%BC'



・・・・・・『日本書紀』の本文では天地開闢(かいびゃく)に関しては天地陰陽が分れず鶏卵のように混沌とした状態の時、ほの黒い中に「牙(きざし)」があらわれ、清く明るいものがたなびいて天、重く濁ったものが土となった。

そしてこの後に「神聖(かみ)」が生まれた。なお天地開闢の始めの大地は、水の上に浮かぶ魚のような状態であった。その時天地の中から「葦牙(あしかび)」のようなものがあらわれ、それが国常立尊(クニノトコタチノミコト)になったとしている。

ここでは混沌の中からまず「牙」(きざし)があらわれ、ついで天地・陰陽が成立し、神聖が出現していること、天地の中から葦牙(あしかび)のようなものが生じ、それが国常立尊(くにのとこたちのみこと)となっていることに注目しておきたい。

一方『古事記』では、天地開闢の時、高天原に天御中主神、高皇産霊神、神産巣日神(アメノミナカヌシ、タカミムスヒ、カムムスヒ)の独神が現れて身を隠した。

ついで国が稚(わか)く浮(き)脂のようにただよっている時、葦牙(あしかび)のように萌えあがるものがあらわれ、そこから宇麻志阿斯訶備比古遲神(うましあしかびひこじのかみ)、天之常立神(あめのとこたちのかみ)の独神が現れて姿を隠したとしている。

このように『古事記』では、まず高天原での独神(ひとりがみ)の出現が語られ、葦牙から生まれた神も、天之常立神とするというように天界に力点が置かれているのである。

国生みに関しては『日本書紀』の本文では伊弉諾尊(イザナギノミコト)と伊弉冉尊(イザナミノミコト)が天浮橋(あまのうきはし)に立って、この底つ下に国があるに違いないと云って「天の瓊矛(あまのぬぼこ)」を下して探ると青海原(あおうなばら)があった。

さらに矛の先からしたたり落ちた潮がかたまって島が出来た。

                        Kobayashi_Izanami_and_izanagi.jpg


そこで二人の神はこの島をオノコロ島と名づけ、そこに降って、この嶋を国中の柱として、男神は左から女神は右からまわって「ミトノマグワイ」をして日本の国々山川草木、神々を生んだとしている。

なお『日本書紀』の一書では二神はオノコロ島に降って八尋(やひろ)の殿を化作(みた)て、また天の御柱を化堅(みた)てて、その柱をまわってミトノマグワイをしたとしている。

ただし『古事記』では、天つ神が二神にただよっている国を固めるよう命じて、天の瓊矛を与え、それに応じて二神が矛で海を探り、潮が固まって出来たオノコロ島に降りて、天の御柱を見立て、さらに八尋殿を見立てて、その周囲をまわってミトノマグワイをし、国生みを行ったとしている。

いずれにしろ国生みの話では海をかきまぜ、天の瓊矛(ぬぼこ)からしたたりおちた潮がかたまって島となり、その島に天降った二神が八尋殿に安置されたと思われる天の御柱をまわって日本の国土、山川草木、神々を生むというように、矛、柱が国を始め万物を生み出す根源ともいえる重要な要素となっている

その際『日本書紀』では、伊弉諾尊と伊弉冉尊の二神が相談の上で国生みをしているのに対して、『古事記』では天の神の命令でなされているということが大きく異なっている。


               
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。(以上引用、文字色と下線は筆写による)  

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今までのまとめですが、

夫(ソ)レ、混元既(スデ)に凝(コ)リテ、気象未(イマ)ダアラワレズ。

名モ無クワザも無シ。誰レカ其(ソ)の形ヲ知ラム。



ここまでのところを私流に解釈してみると、

(大洪水によって)混ぜこぜになってしまった物質(元素)はすでに凝り固まり始めたが、いまだ気象(なんらかの現象)が現れない。

大地には何の動きもなく、混沌としていて、その形さえも分からない。 


こんな感じではないでしょうか。


8f1_20131228000844b0e.jpg



そしてこの部分で連想されたのが聖書の創世記のはじめのところ。


 はじめに神は天と地とを創造された。

地は形なく、むなしく、やみが淵のおもてにあり、神の霊が水のおもてをおおっていた。




      夜の海


この「地は形無く、むなしく、やみが淵のおもてにあり・・・」という部分が、古事記や古代エジプトの創世神話とそっくりだと思ったのです。(ちなみに辞書でふち「淵」について調べると、「底が深く水がよどんでいる所」という意味でした。)

しかし、創世記に載っているこの部分はあくまで「世のはじめのはじめ」、つまり神が万物を創造された一番最初の出来事であるはずなので、それが今回の(太陽の時代の)世のはじめの出来事と似ているというのも不思議だなあ・・・と思ったのですが。

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で、古事記の次のところに戻りますが、 



然(シカ)レドモ、乾坤(ケンコン)初メテ分レテ、参神造化ノ首(ハジメ)と作(ナ)リ、

陰陽ココに開ケテ、二(霊)群品ノ祖(オヤ)ト為リキ。



ここで前ページで調べた「乾坤(けんこん)」の意味をふまえた上で、僭越ながら私流の解釈をひとつ試みてみると、

「しかし、ついに天地(あるいは陰陽)が引っ繰りかえって、(三位一体の)神の創造の始めとなり、

陰陽が開けて、この二つが万物の「祖」(はじまり)となった。


という風に訳してみました。


「参神造化」の「参神」を、「三位一体の神」と訳したのは、これも前項にあったように古事記では「三柱の独神」(ひとりがみ)=(アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カムムスヒ)とあり、つまり「三人で一人の神」だということなので、
これを「父なる神」・「子なるキリスト」・「聖霊…私達一人ひとりに与えられているとされる神の分霊。」の三つで一つだとされているキリスト教の「三位一体の神」を当てはめてみました。(もちろん両者が同じでない可能性もあります。)

「造化」は万物を生じさせることだそうなので、「創造」と置き換えてみました。(「群品」も万物をあらわすそうです。)

また、古事記では「イザナギ」と「イザナミ」という男女のニ神だと訳されている「陰」と「陽」を、あえて「陰」と「陽」・「プラス極」と「マイナス極」・「北極」と「南極」という風な解釈に置き換えてみました。



        manabikata-kotai-chijiki001.jpg

                 (地球は巨大な棒磁石みたいなものなのだそうです。)


この下の「二霊」を同様に二つの「磁極」だと考えたのは、私が日ごろから「霊(体)と磁力・磁場は同じようなものなのかもしれない」と考えているところから来ています。

この理由は、ざっくり言うと、

①「惑星に磁場があるように、我々人間ひとりひとりにも磁場があるようだ」ということと、

②「我々人間には物質としての肉体を覆っている目に見えないエーテル体(霊・魂ともいう)があり、
 
古代エジプト人が太陽のような惑星にもバー(魂…なんらかの「意識」とも考えられる)があると考えていた、という二つのことがあります。

ちなみに「二霊」の「霊」は、本文では大変むつかしい字で書かれており、「雨」冠の下に「口」が横並びに三つ。
その下に「巫女(みこ)」の「巫」が書かれているという複雑な文字でした。→「靈」
 ↓
なお、この読みは(レイ、リョウ、たま、たましい)で、やはり「霊」の旧字体であることが分かりました。

なお、「ひっくり返る」「まぜまぜとなる」などの表現は、日本独特の予言書である「日月神示」(ひつきしんじ)の中にもあります。


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古事記の序文についてさらに解説します。   


夫(ソ)レ、混元既(スデ)に凝(コ)リテ、気象未(イマ)ダアラワレズ。

名モ無クワザも無シ。誰レカ其(ソ)の形ヲ知ラム。

然(シカ)レドモ、乾坤(ケンコン)初メテ分レテ、参神造化ノ首(ハジメ)と作(ナ)リ、

陰陽ココに開ケテ、二霊(ニレイ)群品(グンピン)ノ祖(オヤ)ト為リキ。



この節の3行目、「参神造化の首(ハジメ)」という部分ですが、これは別ページに書いてある「あらすじ」を読むと、

天(あめ)と地(つち)がはじめて姿を見せたそのとき、高天原(たかまのはら)に「造化三神(ぞうかさんしん)」と呼ばれる三柱の独神(ひとりがみ)…(アメノミナカヌシ・タカミムスヒ・カムムスヒ)が現れた。
(「造化」とは、万物を生じさせるという意味だそうです)

また、大地が固まっていない下界では、泥の中から、人間の祖先神だと思われる「立派な葦(あし)の芽の男神」ウマシアシカビヒコジが誕生した。

その後も、次々と神が成り出て、最後に現れたのは、男女の神である伊耶那岐(イザナギ)と伊耶那美(イザナミ)であった。

高天原の神々は、そのイザナギとイザナミに「(まだ固まらずに)漂っているこの地(くに)をまとめよ」と命じた。

2神は、高天原の「天の浮橋(あめのうきはし)」に立ち、神から授かった「天沼矛(あめのぬぼこ)」を下ろし、いまだ漂っている潮を「コヲロコヲロ」とかき混ぜた。
(注・もしかすると「こをろこをろ」とは「凝をろ凝をろ」で、「凝まれ、凝まれ」という意味なのかも?)


                       Kobayashi_Izanami_and_izanagi.jpg



すると、矛の先から滴(しずく)が落ち、潮がだんだんと重なって、淤能碁呂島(おのごろじま)が誕生した。 (注・おのころ島の「おのころ」とは、「自転」(おのころ)を意味するのではないかという説もありました。)

                         ↓


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      aoshima.jpg


なんか、意図が見え見えですね。(笑)

(繰り返しますが、この画像は「火山の噴火によって新しくできた島のようす」ではなく、エジプト神話の最初の海の水が引いて、乾いた陸地が初めて現れたときの様子をイメージしてほしくて貼ったものです。)


わたしはイザナギが、天沼矛(あめのぬぼこ)を使って泥の海を掻き回したときの、「コヲロコヲロ」という音がいかにも感じが出ていて好きなのですが、このシーンは地球の回転するようすを連想させます。

また、イザナギが掻き回したという海は、「沼矛(ぬぼこ)」という言葉や、「誰レカ其(ソ)の形ヲ知ラム」という言葉から連想されるように、形のないドロドロとした沼のようすを連想させ、

高天原の神々がイザナキとイザナミに「(まだ固まらずに)漂っているこの地(くに)をまとめよ」と言ったことばからは、固まらずに漂っていたのが「海」ではなく、「地」(くに)であったという、とても重要なことが書かれています。

そしてこの海が、なんで普通の海ではなく、固まっていない「泥の海」だったのかと考えてみると・・・。


それは、地球が自転を続けながらもある方向に急激にその地軸を傾けることによって、海水が陸地にものすごい勢いで乗り上げ、飲み込んで、海と陸・土と水とがまぜこぜになったしまったからなのではないでしょうか?(この状況は、311のときに東北を襲った津波のようすを思い出すと想像できると思います。)

あるいは地軸の傾きはそのままで球面だけが傾くのかも・・・?
(「自転軸は23・4度の傾斜角度をほぼ保ったまま、球面全体が移動する」という説を書いているサイトはこちら。)


           地軸

(一日に一回、西から東に回転する地球の「自転」によって太陽が東から西に動いていくように見えるので、地軸(あるいは球面)が急激に傾くということは、地球から見ると太陽がいつもの軌道からどんどんはずれていくように見えるはずです。地球の裏側にある星々も同様。 )参考・・・アトランティス伝説


1行目の「混元既(スデ)に凝(コ)リテ」の「混」は「混じる」の混でもあり、「元」は土や水などの元素の「元」であるのは、そういう意味も含まれているのかもしれません。

なので、大洪水によって混ぜこぜになってしまった水と土・そのほかすべての物質(もちろん陸上の生物も含まれます)の元素はすでに(沈殿して)凝固し・・・という感じにも思えるのですが。

いずれにしろ、「古事記」という神秘的な書の解釈はとてもむつかしく、いかようにも解釈できると思うので、(実際色々な説があるそうです)今の科学の知識で改めて捉えなおしてみると、もっと新たな解釈ができるかもしれないと思うのです。

また、「気象未(イマ)ダアラワレズ」の「気象」というのは、現在使われている気象現象、つまり普通に大気の状態と考えることもできますが、それが「現れていない」状態というのも想像しにくいです。

これは「真っ暗闇」だったという古代エジプトの神話を考え合わせると、太陽の光がとどかず、太陽の熱による蒸発やそれによってできる雲、雨そのほかの気象現象がなかったのかも・・・?

他方、「気」と「象」を分けて考えると、目に見えないものと目に見えるものの両方と考えることもできます。
「気」というのは、たとえば目に見えない磁気・磁力のような物質の内側にあってそれを動かす力、「象」はいうまでもなく、物理的現象。・・・そして、それが「現れていなかった。」

または、エジプトの創世神話にあるように、「真っ暗だったので」なんらかの現象があっても単にそれが見えなかったのかもしれません。2行目の「名モ無クワザも無シ。誰レカ其(ソ)の形ヲ知ラム。 」からもそれがうかがえます。

3行目…「然(シカ)レドモ、乾坤(ケンコン)初メテ分レテ」(「乾」の横にあった文字は、「坤」と言う字で、二つ合わせて「けんこん」と読むのだと分かりました。(ネットにも漢和辞典があることを初めて知りました。今は、辞典がなくとも調べられるのですね)

「乾坤」をgoo辞書で調べてみると、「天地」と同じ意味があるようで、下のようになっていました。

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http://dictionary.goo.ne.jp/leaf/thsrs/12224/m0u/

〔類〕天地(てんち)/天地(あめつち)/乾坤(けんこん)
[共通する意味] ★天と地。
[英] heaven and earth

[使い方]
〔天地〕(てんち)▽天地が引っくり返る
〔天地〕(あめつち)▽天地の神に祈る▽天地の栄える時
〔乾坤〕▽乾坤一擲(いってき)(=命運をかけて、のるかそるかの大勝負や大仕事をすること)

[使い分け]
【1】「天地(てんち)」が、最も一般的。「天地」は、「自由の天地を求めて船出する」のように、世の中や、「天地無用(=荷物などの上下を逆にしてはいけない)」のように、物の上下もいう。
【2】「天地(あめつち)」は、全世界もいう。「天地(てんち)」よりやや古めかしい語。
【3】易(えき)の卦(け)で、「乾坤」の「乾」は天、陽などを表わし、「坤」は地、陰などを表わす。このため「乾坤」は、天地以外にも、陰陽、上下、前後などをさす。 

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う~ん、なかなか意味深げだと思いませんか?

これを、先の文章に当てはめてみると、色々な意味に取れそうです。


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