古代のことがらを学ぶことによって、現代の指針とすることができるのではないかと思っています。

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一昨日(9月14日、日曜日)の夜、タイムリーにも立花隆さんの「臨死体験」の研究についてNHKスペシャルでやっていたのでご紹介します。

ご覧になった方はいいのですが、見逃したという方はこちらのサイトで200円程度支払えば見れますので興味のある方はぜひご覧になってください。

この「臨死体験」という本が出てから早くも20年も経つというので若い方は知らない方も多いかと思いますが、これは私自身の死生観にも大きな影響を与えた内容なので、けっこうインパクトがあると思われます。

この番組に中に出てくる「死んだあと身体を離れ、上のほうに浮き上がって自分の身体を眺めている」場面などは、催眠療法でも自分の人生を振り返るときによく利用される場面です。

また、神秘的な存在と出会ったり至福感を感じることなども私が体験したのと同じで、全体的にこの体験がよく説明されていると思います。

立花隆氏はこの番組の中で、臨死体験を科学的に解明しようとする様々な取り組みの現場に行ってインタビューを行うのですが、やはり科学的に説明されえる部分というのには限界があると感じました。

でも、「科学的には説明できない」ことでも柔軟に受け入れる謙虚な姿勢というのもまた大切な気がしました。

今は74歳と高齢になり、病によって自分自身死と直面するようになった立花氏が最後のほうで言っていたのは、私と同じく「死ぬことが怖くなくなった」ことと、「どんな夢が見れるのか楽しみになった」ということでした。




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先日、催眠状態の中で一般に人が臨死体験で見るような神々しいものを見た話をしたのですが、(→ 死後の世界と催眠療法 )その後に思い出したことがあったので簡単に記します。

実はうちの父方の一家はもともと他県で商売をしていたのですが、父が子供の頃に上京して東京で商売をしていたところ、不幸にも戦争が始まって東京で大空襲にあい、焼け野原になった東京を大変苦労して生き抜いてきた一家なのです。

その中でももう亡くなった祖母はあまり働かない祖父のおかげで特に苦労させられてきたらしく、父の他に4人いる兄弟のうち、一番上の姉は祖母は気の毒だったと言っていたことがあります。

けれど、この祖母や祖父のまだ元気だったときには大阪で子供時代を過ごしていた私は、あまりこの「おじいさん、おばあさん」とは接点がなく、思い出といっても本当に数えるくらいしかないのですが、その記憶の中に、特異なものがあったことを思い出したのです。

それは、祖母がいよいよ高齢になって最後に病院に入院していたときのことですが、非常に印象的なことがありました。

祖母はもうその10年位くらい前から認知症が始まっており、あまり頭もはっきりしていなかったのですが、母と二人でお見舞いに行ったときは意外としっかりしており、上半身をベッドの上に起こしてひと言、ふた言は私たちと会話をすることができたような気がします。

その後母がしばらく席をはずしていたので、祖母と私のふたりきりになってしまった時間がほんの少しだけあったのですが、私は祖母と話すでもなく、母の戻ってくるまでの時間をただなんとなく病院の窓から見える空を眺めて過ごしていました。

すると、背後で突然祖母が、「雲が光ってる。」と大きな声で言ったので、びっくりしました。

ふり返って祖母の目線の先にある雲を見ると、別に光っているわけでもない普通の雲があっただけだったのですが、もしかして祖母にはそう見えるのかもしれないと思って「ふ~んそう。雲が光ってるの。」と相づちを打ってあげました。

すると、またしばらくして祖母がさっきとまったく同じ口調で(しかしきっぱりと、)「雲が光ってる。」と言ったので、「う~ん、これはいよいよお迎えが来たのかな?もしかして本当に光ってる雲を見たのかも・・・」などと不思議に思ったのを思い出したのです。

今なら祖母が見たものが、私が見たと同じあの輝く雲だったのかも・・・と分かるのですが、それにしても祖母はキリスト教とは全く無縁の人だったので、なぜ「光ってる雲」なのか不思議です。

あのとき祖母はけっこう体も弱っていたはずなのに、しゃんとしていたのも不思議だったのですが、それはもう祖母があの世にだいぶ近ずいていたからなのかもしれないな・・・と思いました。
(たしかその後数週間~数ヵ月経ってから祖母は亡くなりました。) 

しかし、生きているときには私には想像もつかないほど苦労をしてきた祖母が、死ぬ間際にはなんだか子供のようになって、そして「光っている雲」を見て安らかな気持ちで旅立ってくれたのかと思うと、なんだか救われるような気がします。




ちなみに瞑想状態で聴くと、いつもあの時の光景 ( キリストが天使たちに囲まれて輝く雲と共に来られるというイメージ )が浮かぶという曲があるのですが、それはこれです。





日ごろからイメトレしておけば、死んだ後も迷わず天国の方にいけるかもしれないので、今から時々聴いておこうかと思います。(笑)



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テーマ:死後の世界 - ジャンル:

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(紫のアジサイ。もう季節はずれになってしまいましたが、いつか使おうと思って撮っておいた写真なので掲載します。)


最近、ヒプノセラピー(催眠療法・前世療法などとも言われる)を受けてきました。

今回も感動的なセッションだったので、ここに少し感想を書くとともに、ヒプノセラピーについて少しだけご紹介したいと思います。

今までこのブログではあまり個人的なことは書かない方針でやってきたのですが、精神的に(場合によっては肉体にも)大きな「癒し」をもたらす方法を知っているのに書かないのもなんだなあと思ったので・・・

ふつう「催眠」と聞くと、ひと昔前にテレビなどでよくやっていたような施術者(催眠をかける人)に操られたりするようなイメージがあるかもしれませんが、普通ヒプノセラピーでは本人の意思に反してしたくないことをさせられたりすることはありません。

また、潜在意識につながりながらも自分の意識もあるので答えたくないことは答えなくてもいいし、施術者に自分の希望も伝えられるので、受ける際にあまり心配されるような必要はないと思います。

催眠療法では、従来は心理的なトラウマや各種の恐怖症など、生きずらさの原因となっている場面を潜在意識の中から呼び出して癒しにつなげるというものが多かったように思うのですが、今では自己実現、仕事の成功、恋愛の成就など、色々な願いをかなえる為にも積極的に活用されているようです。

上記のように便利に使われている催眠ですが、私の経験では、慣れてくると必ずしも「療法」によらずとも簡単に催眠状態に入れるようになりますし、入ってみるとなかなか奥が深くて面白い世界が開けます。

催眠療法とは、「潜在意識の探検」と言い換えてもいいかと思うのですが、自分の潜在意識の中にある膨大な記憶を使えば、自分の覚えていない幼少期のことや胎児の時、母親のお腹の中にいた時のことさえ思い出せます。

また最近はスピリチュアルな認識の進歩により催眠療法に「前世(前生)」という視点を加えたところも、ひとつの大きな進歩だと思います。信じられないかもしれませんが催眠に入れば何千年も前に生きていたときの過去生の記憶や、死んだあと、自分の体を離れてただの「意識」になったときの記憶さえ出てきます。

こうした体験を何度も積み重ねていくうちに、だんだんと目に見えないこの世の仕組み・・・自分にもたくさんの前生があること、死んだらそれで終わりではなく、魂としての自分の存在は続いていくことなどを頭ではなく心で信じ・理解できるようになります。そうすると、そのことをきっかけに自分の生きている意味を見い出すことができるかもしれません。

人間は魂の長い歴史の中で数え切れないくらい多くの転生を経験するといわれるので、それでもほんの一部かもしれませんが、私も自分の前生をこれまで数多く見てきました。そして、その中には今生での家族や親しい友人などが出てくる場合もいくつかありました。(前生ではそれぞれ違う姿をしているのですが、なぜかその人だと分かるのです。)

それらを見ることによって、今の家族との関係性や今生で克服すべき課題(人間には完全無欠な人はいないので、それぞれの魂の苦手科目を克服するためにこの世にまた生まれ代わってくるといわれています)といったことが、ほんの少しですが分かって来たようにも思えるのです。



                      
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さて、今回のヒプノセラピーで出てきた内容ですが、前生でもなく、かと言って本当の未来とも違うような不思議な世界を体験しました。

それは、生者と死者の間に横たわる「三途の川」がある不思議な世界です。

その川のようなものは、深い渓谷のようにも見え、この世とあの世の境目に長く横たわっていました。

その三途の川を前にして、私はある人物との間で個人的にとても感動的な体験をしたのですが、ここでは詳しく書けません。 (この世界では心の交流はダイレクトにテレパシーで伝わりました。)

そして、三途の川の向こう側には、懐かしい人々がたくさん待ってくれているような気がしたのです。

その後、向こうの空の高みから、イエス様のような人がそれを囲むみ使いのような人たちと共に、まばゆく輝く白い雲に乗ってこちらに向かって来るのが見えました。 (臨死体験では自分の信じているものが出てくるらしいので、私はキリスト教の素地があるためだと思います。)

私はそれを見て、「至福」といってもいいほどのものすごい幸福感( 「歓喜」と言い換えてももいいかもしれない )を感じました。

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さて、私は10年くらい前に立花隆の『臨死体験』という本を読んでから、それを私も経験してみたいなと思っていたのですが、とはいっても交通事故にあって死にかける・・・というような悲惨な体験をするのは嫌なのでほとんどあきらめていました。

でも、思いがけず今回は何の痛みも伴わずに、ふつう人が臨死体験でしか見ることができないような体験を催眠状態ですることができたのでとてもよかったと思いました。

一般的に臨死体験をした人はそれまでと人生観が変わることが多いらしいですが、確かにこうしたものを見ると死後の世界に対する恐れがなくなります。そして昔から死ぬ間際に「お迎えが来る」とはよく言われることですが、私もそれに似た体験をしてみて、なるほどこれは人が安らかな死を迎えるための最善の準備だと思いました。

(「臨死体験」とは、何らかの事情で生死の境をさまよったあと奇跡的に生還した人が、そのさまよっている間、同じようなものを見たり感じた体験をしていることが分かってから有名になった言葉。私と同じように広いお花畑や草原、三途の川や神のような存在・光などを見る人もいる。)



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中矢伸一氏による「日月神示」(ひつきしんじ)の解説本を数年前から少しずつ読んでいます。
(少しずつ・・・というのは私のばあい前から順番にという意味ではなく、興味のあるところだけを折に触れて少しずつ読んでいるという意味)

「日月神示」 (詳しくはこちら)は神によって降ろされた書ということですが、正直いって私はこの本の出された経緯についてあまり詳しくありません。ですが、読んでいると「これは・・・・・・。(意味不明ですいません)」と思えるところが随所に見られるのです。

また、「世の終わり」の記述が聖書とそっくりな部分があり、表現こそ違え同じようなことを言っていると思えるところも多く、とても興味深いので、紹介させていただこうかと思います。 (→聖書に見る「世の終わり」の前兆

以下、「日月神示完全ガイド&ナビゲーション」より抜粋 。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

・・・・・・・第二次大戦のころまでは、いくらか骨の残っていた日本人も、終戦と同時に「イシヤの仕組み」により、国体の破壊や民族意識の粉砕などの工作が行われ、完全にその術中にはまってしまった。

悪神たちはまず、日本人を骨抜きにして「芯」を失わせ、日本の地を邪神界(がいこく)同様にしておいてから丸呑みにする計画で、ここまで進めてきているのである。

悪の計画が予定道り進めば、現在の日本の繁栄は、引っくり返されるときが来るだろう。ところが、大部分の日本人は、「イシヤの仕組み」により骨抜きにされているので、そういう事態となっても何もなす術(すべ)を知らないのである。

☆「イシヤ」というのは「石屋」→古代の西洋における石工職人のギルドを起源とする秘密結社・「フリーメーソン」を指しているのだそうです。しかも、悪の仕組みを実際に策謀する人間たちだけでなく、その背後から霊的に働きかける悪神・悪霊がいるといいます。「イシヤ」とは、その両方を指すのだそうです。)


「悪の仕組みは、日本魂(にほんだましい)を根こそぎ抜いてしもうて、日本を外国同様にしておいて、ひと呑みにする計画であるぞ。日本の臣民(しんみん)、悪の計画道りになりて、尻の毛まで抜かれていても、まだ気づかんか」

「まことの善は悪に似ているぞ、まことの悪は善に似ているぞ、よく見分けなならんぞ、悪の大将は光り輝いているのざぞ」
 

 

〈同じことが二度ある仕組み〉

(日月神示が降りたのは昭和19年6月で、終戦を迎える一年以上前でしたが、第二次世界大戦の日本の敗戦を予言していたといいます。しかし、日本にはこれから二度目の大峠(おおとうげ)が起こることになっているといいます。


戦は一度はおさまるように見えるが、その時が一番気つけねばならぬ時ぞ、向こうの悪神は今度は(○の中に「、」の入ったしるし=神の国? )の元の神を根こそぎに無きものにしてしまう計画であるから、そのつもりでフンドシ締めてくれよ。誰も知れんように悪の仕組みしていること、神にはよく判りているから心配ないなれど、臣民助けたいから、神はじっとこらえているのざぞ」

「出てきてから又同じようなこと繰り返すぞ、今度は魂抜けているからグニャグニャぞ、グニャグニャ細工しかできんぞ、それに迷うでないぞ」

「フニャフニャ腰がコンニャク腰となりて、どうにもこうにもならんことになるぞ。その時この神示、心棒に入れてくれよ。百人に一人くらいはなんとか役に立つぞ。あとはコンニャクのお化けざぞ」

「一日に十万、人死に出したら神の世がいよいよ近づいたのざから、よく世界のことを見て皆に知らしてくれよ」

北から来るぞ。神は気もない時から知らしておくから、よくこの神示(しんじ)、心にしめて居れよ。一日一握りの米に泣くときあるぞ、着る物も泣くことあるぞ、いくら買溜め(かいだめ)しても神の許さんもの一つも身にはつかんぞ。」 


「日月神示」によると、将来世界がひとつになって日本に攻めて来るという。そして徹底的に日本が破壊され、敵の手中に落ちたかに見えたその瞬間、富士山の大爆発とともに、世界中に大天変地異が巻き起こり、世界の人口が三分の一以下に激減するといいます。


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「神世のひみつと知らしてあるが、いよいよとならいたら地震、雷ばかりでないぞ、臣民アフンとして、これは何としたことぞと、口あいたままどうすることもできんことになるのぞ、・・・・・・

月は赤くなるぞ、日は黒くなるぞ、空は血の色となるぞ、流れも血じゃ、人民四つん這いやら、逆立ちやら、ノタウチに、一時はなるのであるぞ、大地震、火の雨降らしての大洗濯であるから、一人逃れようとして、神でも逃れることは出来んぞ、天地まぜまぜとなるのぞ、ひっくり返るのぞ」

「今までの逃れ場所は山であったが、今度は山に逃げても駄目、神の御旨の中であるぞ」

「一時は天も地もまぜまぜにするのざから、人一人も生きてはおれんのざぞ。それが済んでから、身魂みがけた臣民ばかり、神が拾い上げてミロクの世の臣民とするのぞ、どこへ逃げても逃げどころないと申してあろがな、・・・・・・何よりも改心が第一ぞ

獣となりて、這い回る人と、空飛ぶような人と、二つにはっきり分かれて来るぞ、・・・・・・火と水の災難がどんなに恐ろしいか、今度は大なり小なり知らさなならんことになりたぞ。」

「今の肉体、今の想念、今の科学のままでは岩戸はひらけんぞ。今の肉体のままでは、人民生きてはいけんぞ。」

八方的地上から十方的地上となるのであるから、総ての位置が転ずるのであるから、物質も念もすべてが変るのであるぞ。・・・・・・今までの岩戸ひらきと同様でない、末代に一度の大岩戸ひらきじゃ。」


( 「ミロクの世」とは、言葉を換えていえば「地上王国」であり、「至福千年王国」であり、我々人類が長く待ち望み、あらゆる宗教家たちが数千年の昔から到来を予言していた「神の世」であるということです。 → 新しい天と新しい地 ) 

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今回は松原照子さんの「世間」をご紹介します。

松原さんは東日本大震災を予見されたことで有名ですが、「不思議な世界の方」から聞くという日々のお話はとても興味深く、時々読ませていただいています。

さて、その照子さんが2日前の5月8日に
「太平洋側全般、特に関東以北、中部地方の方は揺れにご注意ください。」「今回は広範囲についてお気をつけください。」という速報を出されていたのですが、今日もまた地震についてのお話を書かれていたので転載することにしました。

つい先日(5日)も関東で伊豆大島近海を震源とするマグニチュード6.2の大き目の地震があったこともあり、揺れに警戒しています。

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幸福への近道

噴火、首都直下型、南海トラフ <世見>2014.5.10

5月5日の子供の日に関東地方は揺れました。最近は又々よく揺れるようになった気がします。

東日本大地震が起きた後すぐに富士山近くで大きめの地震があった気がするのですが覚え違いでしょうか。

東日本大地震が起きてから3年目を迎えました。

あれ程の巨大地震後、噴火と云う言葉がどうしても気になるのです。

太平洋の海底が変化しているのも気になっています。

「首都直下型地震」とか「南海トラフ」という言葉を耳にする度に恐怖というより悲しくなってしまうのです。

東京都には幾つもの断層があるのですが、立川断層というのはどこからどこまでを言うのでしょうか?

私はこの立川断層と聞くたびに立川断層の右側にも断層があるように思ってしまいます。
(「地震調査研究推進本部」というところが掲載している立川断層帯についての情報はこちら

私はあなた様を恐怖心や不安を煽ろうなどと思ったことはありません。

むしろ私に役どころがあるのなら、もっと感じとり一人でも多くの皆々様のお心を少しでも和らげて差し上げたいのです。

東日本大地震が、これから起きると言われている首都直下型大地震や南海地震や富士山噴火へと繋がっている気がするのです。

だからと云っていつ起きるかわからない大災害を恐れていたのでは地震大国の日本には住めません。

日本の国で生活してこられたご先祖様が残された記録を改めて読み、恐れる前に一人でも多くの人が思いやりを持ち、人の心を傷つける行為はやめて、自然界に「ありがとうございます」を忘れずにお過ごしいただきたいのです。

そして何かが起き始めた時、ご自身は「今 生きている」ことを自覚してください。 



最近は口から出す言葉が自分の感情に影響を与えることを感じることが多いですが、松原さんが前にも言われたように「恐れ」を感じたとき、「わたしは今、生きている」と言ってみることで勇気が湧き起こってくるのかもしれません。



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アンコ~1
                     アンコールワット彫刻

いつもは本の抜粋ばかりなので、今日は珍しく感想を書いてみようと思います。

前記事の「ヴィシュヌ神はひとりでありながら3つの面を持ち、創造、保護、破壊を行う」というところと、それでも「信心深い者にとっては3者は同じである」という最後のことば、共にけっこう衝撃と感銘を受けました。

さすが、ハンコックをして「人類の古代における霊的教えの最も優れた記録のようだ」と言わしめただけのことはあるなあ、と思いました。私自身もキリスト教よりも先にヴェーダの教えに触れていればよかったのに・・・とちょっぴり恨めしく思いました。

なぜならこのように最初から教えてくれれば、万一神の「破壊的な」側面に出会ったとしても、困惑したり、ましてや信仰を失ったりなどしなくて済むと思うからです。

教会では(恐らく、どこも似たような傾向があると思うのですが)礼拝の説教などで、神の「愛」や「創造主」いう側面については強調しても、その逆である神の「破壊的とも思えるような」側面についてはあまり触れられない傾向があるからです。(少なくとも私の行っていた教会ではそうでした)

しかし「ノアの大洪水」の話だけとっても、いくら人類が罪深い行いをしたからといって、全ての人間を滅ぼしてしまうなんて極端だと思えるし、また旧約聖書の中には神が「こういう場合はその人を殺さねばならない」と支持している箇所もあったりして、少なくともそんな甘い神様じゃないと思えるわけです。

旧約にある神と人との物語を読みこんでいくと、「主なる神を怒らせると恐い」という気持ちにさせる側面が確かにあり、「神は愛である」といいながらどうしてこんな残酷なことができるのか、私にはどうしてもよく理解できないところがありました。

また、牧師さんからは「神はひとりひとりの祈りを聞いてくれて、必ず応えてくれる」、「あるいは、その祈りが聞かれないのは、御心(みこころ)に叶わないことを祈るからだ」などということを繰り返し聞かされたものですから、祈り続けても聞かれなかったり、また、その逆の不幸と思えるようなことが人生に続いたりしたときに、人間不信ならぬ「神不信」に陥ったりもしました。

そういう時にかぎって、浮世のどんな理不尽なことがらに対しても神が救いの手を差し伸べないように見えることが計り難く、また許し難く思え、神の愛が全く信じられなくなってしまったこともあったのです。

しかし、そういう真っ暗な心境のとき、ナチス・ドイツの収容所で極限の体験をしたユダヤ人(エリ・ヴィーゼル)の「夜」という伝記に出会い、それを読んで衝撃を受け、180度わたしの中の「神」感が変わりました。(今回調べてみて気がついたのですが、彼はこの本を書いた後、1986年にノーベル平和賞を受賞しています。)

・・・考えてみるとこのあたりから、知らず知らず現代で「スピリチュアル」と言われている方向に惹かれていったような気がします。

その後、精神世界の本を読み漁るようになってからは、長い歴史のなかで私自身がなんども輪廻転生し、そのなかに「因果応報」という法則が働いていることを知ることで、あるていど人生のしくみについて視野が開かれ、精神的にも救われたように思います。

また、魂は永遠なわけですから、神が全人類を滅ぼしたとしても人はまたどこかで生き返れるわけで、その過程である病や死をも引っくるめて「学び、あるいは修行 」だととらえることさえできれば、人生に無駄なことは何一つないということになるのでしょう。

今のキリスト教には、キリストの生きていた時代にはあったはずの、こうした優れた霊的視点が欠けていることがとても大きな損失のように思えるのです。 


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関連記事…「生まれ変わり」



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前の記事で私が「小学校の頃から世の終わりという概念に触れてきた」と書いたので、私がキリスト教家庭に生まれたのかと思われる方がいたかもしれませんが、そうではないので、ここで説明するとともに、簡単に私のプロフィールを書きたいと思います。

私の家は普通のサラリーマン家庭で、特に宗教というものを持っていませんでした。
そんな私がキリスト教に触れた最初の場所は、カトリックの幼稚園でした。

そこは、当時では珍しかったのかもしれませんが立派な丸いドーム型の屋根をもつ礼拝堂があり、「マドレー」と呼ばれるベールをかぶった修道女のような外人の先生のいる、キリスト教の幼稚園でした。

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(写真は「天使にラブソングを」という映画のシスターたち。こういう格好の先生が日本人の先生に混じって何人もいました。)

そこでは時どきみんなで礼拝堂に集まってお祈りをしたり、クラスの名前も「イエズス組」・「マリア組」・「ヨセフ」組などという聖書の人物の名前で、食事の前には必ずお祈りをしてから食べさせるという、今思えば修道院のような雰囲気の幼稚園でした。
ここに2年間通ううちに、自然にキリスト教に「なじんでしまった」ということは言えると思います。

それから普通の小学校にあがり、短大を卒業するまではキリスト教とはさほど関係のない学生生活を送ってきました。(自分で聖書を読むほかは)

でも、当時住んでいた私の大阪の家の近所に小さな教会(というか集会所)があったらしいのです。
「らしい」と書いたのは、後にも先にも行ったのはその一回だけで、今はどこにあったのかさえ思い出せないからです。

幼稚園生活もほとんど忘れかけていた小学校高学年くらいの頃、たまたまそこの前を通りかかったら、日曜日だったのかドアが広く開いており、中で何かやっている様子だったので覗いてみると、四角い部屋のスペースに30~40人くらいの人がぎっしり詰まっていて、前に立っている男の人の話を熱心に聞いているのでした。(幼稚園では男の牧師さんらしい人はいなかったので、説教というものを聞いたのは、おそらくそれが初めてでした。)

一番後ろに立っていた女性がすかさず手招きをして、「中に入りなさい」というそぶりをしたので、私もその女性の横に立って話を聞いていたのですが、子供だったのでしばらくすると飽きてきて、あたりを見回すと、真後ろの壁に本棚があり、黒っぽい背表紙の同じ本ばかりがずらっと並んでいました。

私はそれまで、同じ本ばかりが並んでいるのを見たことがなかったので不思議に思って見ていると、その女性が「ここにある本は誰でももって帰っていいのよ」と言ってくれたので、喜んでもらってかえったのが、初めて読んだ文庫本サイズの小さな「新約聖書」でした。

読むのにさほどの分量もなく、また本を読むのは大好きだったので、家に帰ってすぐに読んでしまったのですが、その最後のところに「ヨハネの黙示録」というのがあって、「この世の終わり」のことと、それに続いて新しい「神の世」が来るということについて書いてありました。(黙示録にかぎらず、四福音書にもイエスのことばでそれは書かれています。)

よく分からないながらも、わたしは「この世がいつか終わってしまう」という概念に衝撃を受け、「これは大変なことが書いてある」と心の中で思いました。

「今はこの内容がよく分からないけれども、大人になったらこのことについてよく調べてみなければ・・・。」と子供心にも強く思ったのを覚えています。

考えてみれば、それが今のこのブログにもつながっているようにも思えるのです。


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いくつもの「太陽」の時代の記事の最後に、 「この時代の運命は、人々が創造主の計画に沿う行動をとるかどうかで決まる。」とありましたが、それでは具体的にホピ族の予言とはどういうものだったのでしょうか?

私のもっていた「ホピ的感覚」という本の中に、ちょっと古いですがホピ族の長老の言葉があって、今の私たちに当てはまるのではないかと思ったので、それをそのまま紹介しようと思います。

以下は、この長老が1995年の阪神大震災の時に、日本のわたしたちのために送ったメッセージだということです。

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 ホピ族の長老、マーティン氏からのメッセージ

神戸地震(阪神・淡路大震災)について、日本の人たちへ伝えたいこと  
                          マーティン・ガスウィスーマ(1995年1月18日)



日本で地震が起こり、たくさんの人たちが死んだ。これは、わしらホピに伝えられてきた預言をお思い起こさせる。わしらの預言は、時から時へ、過去から未来へと起こる多くの出来事を教えている。

わしらの祖先は、こう伝えてきた。
「いつの日にか、何かのバランスが崩れると、悪いことが次から次へと起こり、大地と人々の命が破壊される」と。わしらは長老たちから、そう教わった。

長老は、同じことが大昔(前の世界)に起こったことがあるので、再び繰り返されると知っていたのだ。だからこそ、わしらホピは、大地と生命のために、その預言を世界中の人たちに伝え歩かねばならなかった。

今、世界中の人々がバランスを失っている。昔の生き方に戻らねばならない、と長老たちは言っていた。そうすることがとても難しいことは、わしは知っている。だが、バランスが大きく崩れると、地震、竜巻、病気の蔓延、飢餓、火山の爆発などさまざまな災厄がやってくる。

わしらは、自分たちの身も心も守らねばならない。新しく、近代的なテクノロジーは確かに強い。だが、その力でいつもコントロールできるとは限らない。もしも事態が悪化すれば、なんの役にも立たなくなるだろう。

飢餓がくれば、大地から食べ物を得るのは難しくなるだろう。すべてが汚染されているからだ。そのために、わしらは大変な目にあう。だから、何よりもバランスを取り戻さねばならん。

わしらは今、まるで自分を滅ぼそうとしているようなものだ。もしも、わしらがバランスを少しでも取り戻さなければ、すべてのことがますます悪化していくだろう。人も動物も大地もすべてのものが滅んでいくだろう。そして、戦争がやってくる。

わしらホピは、浄化されなければならないことを知っている。・・・しかし、今や、すべての人々のバランスが崩れているので、未来にはとても困難なことが待ち受けている。

・・・何か、もっと酷い死者が出る何事かが近づいている。動物も人を襲うようになる。すべてはバランスが狂っているからだ。わしら自身を浄化し、バランスを取り戻さなければ、戦争や破壊を止めることはできない。

自分たちの信じていることを、もっと積極的に進めなければならない。
わしらの言うことを信じるのは難しいいかもしれん。だが、重ねて言おう。あなた自身にかかっているのだ

わしには、あなたたちの心を変えたりする力はない。わし自身で、あなた自身でなにかをするのだ。
自分の信じている霊的な道や気持ちに対して、あなた自身が変わらねばならない。

すべてはあなたたち次第なのだ。自分自身と人々のために、大地や動物たち、地球のために、何かをするのだ。

わしらは皆、ひとつの地球の上にいる。神戸の地震はまだ終わっていない。大地はまだ揺れている。

だからこそ、わしらは、大地や人々や動物や木々や草花を救わなければならない。それを救うのは、あなた次第なのだ。植物は、病気の治療のための薬として、わしらが使ってきた役立つものだ。

この地上のすべてのものが救われ、生き残ることは、わしらの願うところだが、すべての人が生き残るというわけにはいかないだろう。地震や、あるいは竜巻、洪水、地球上に蔓延する病が人口を減らしていくだろう。

わしらは今、まぎれもなく危機に直面している。
自分のことと、人々のことを考えるのだ。そして、生き残るためには、ともかく将来に向かって進むしかない。あなたが信じようと信じまいと、わしらに伝えられた預言のすべてが現実となっている。

長老から、これらの話を聞いたときには、わしは信じなかったが、今にして思えば、すべてが、わしらの長老が伝えてきたとおりだ。どうか、自分自身と他の人々のために、よく考えてほしい。

ありがとう。このことを話せてうれしく思う。



・・・・・・(つけ加えて、)もうあんまりのんびりしていてもだめだ。残された時間は、ほんの数年しかない。十年もないのだ。浄化の日は、もうすぐそこまで来ている。

地震は終わったわけではない。大地はまだ動いている。明日か、来月か、来年か、ともかくもっともっと大変になるだろう。
だからこそ、わしらの教えが、広まらなければならない。どうか、このことを広めてほしい。それを聞いたなら、自分の力以上の目に見えない助けが必要になるはずだ。

霊的な道を信じなさい。 祈りを捧げなさい。 そうすれば、スピリットが夜に夢の中やその他の方法で教えてくれる。ときには、動物が話しかけてくれることもある。わしには、そういう経験がある。小鳥と話したことがあるんだ。・・・

浄化の日は、世界中のあらゆるところで、すでに始まっている。 次の段階が来月か、来年か?
物事が起きている時には、最後にならないと、それに気づかないことがある。気をつけて、自分を大事にしなさい。


                                             (以上)
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前回述べたケイシーの本の中には、聖書に中に輪廻転生思想があったという痕跡について述べたものがあります。
以下のような箇所です:

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ヨハネの福音書の9章に、イエスが生まれながらに目の見えない盲人を癒された話がありますが、弟子たちがイエス・キリストに尋ねる場面があります。

弟子たちはイエスに尋ねて言った。

「先生、この人が生まれつき盲人なのは、誰が罪を犯したためですか?本人ですか、それともその両親ですか?」

イエスは答えられた。「本人が罪を犯したのでもなく、また、その両親が罪を犯したのでもない。ただ神のみわざが、彼の上に現れるためである。・・・・・・・

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ところで、この盲人は生まれつきの盲人だったのですから、今の生で罪を犯したというのは考えられません。
つまり、弟子たちはこの盲人が前生で罪を犯したからなのではないかと聞いている、というのです。


また別の箇所では、マタイの福音書17章に、イエスが山上で変容されたのち、イエスは弟子たちに、「私が死から蘇るまでは見たことを話してはならない」、と言う場面があります。

・・・・・・・すると弟子たちは尋ねた。それなら、学者がまずエリヤ(再来すると信じられていた預言者)が来るはずだというのはなぜですか、と。

イエスは答えられた。エリヤが来て全てを整えよう。しかし私は言う。エリヤはすでに来た。しかし人々は彼を認めず、思うままに彼をあしらった。そのように私も彼らに苦しめられよう、と。

そこで弟子たちは、エリヤとは洗礼者ヨハネのことであると悟った。

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つまり、洗礼者ヨハネがエリヤの生まれ変わりであると弟子たちが悟ったのは、輪廻転生を理解していたからに他ならないからだというのです。



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 「生まれ変わりは、非常に長い間、東洋の宗教の一部であると考えられ、そのため我々は、それがキリスト教とは異質の概念とみなしてきた。

しかし、聖書を真に研究した者なら、その概念がこの書物に含まれていないと言えるかどうか疑わしい。古今を通じて『人間は死んだあと、再び生まれるのだろうか?』という質問が常に発せられてきたのである。

                 「THE  EDGAR CAYCE(超人ケイシーの秘密p・471)」

ケイシー
    エドガー・ケイシー
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今日は以前「人間の霊なる本質」の記事で、「生まれ変わり」(輪廻転生)と聖書は矛盾しないと書いたことについて説明したいと思います。

(聖書と輪廻転生の関連については、前にも紹介した本「THE EDGAR CAYCE(超人ケイシーの秘密)上・下巻合本」などにも詳しく載っているので、知りたい方はそちらも参照してほしいと思います。)→ 古代の地軸の移動について

実は私自身が以前クリスチャンであったので、この「輪廻転生」という概念を受け入れるのは、ケイシーの残した多くの預言(リーディング)の中でも一番むつかしいところでした。

というのも、一般には聖書には「輪廻転生」の思想は含まれていないと考えられていますし、また牧師さんの説教でも、全くそういう話は聞かれません。

キリスト教ではおおまかにいうと、人は一度きりの人生で一度だけ死んで、最後の審判の時に再びよみがえるというもののように思います。

もし私が宗教を何も信じていなければ、この「生まれ変わり」という概念を受け入れるのはもっとたやすかったかもしれませんが、そうではなかったので、結構この点で悩みました。
 
なので、同じように悩むであろう方のためにもこの記事を書いておこうと思います。

実はケイシー自身も熱心なクリスチャンだったのですが、自分が催眠状態で輪廻転生のことをしゃべっていると知った時には相当ショックを受け、また受け入れるのに抵抗があったといいます。

ケイシーは、アメリカの歴史の中でもっとも卓越した霊能力者といわれ、医療、哲学、未来の予言など多くの分野で業績を残しましたが、それらの言葉はリーディングと呼ばれて現在まで保存されています。

そのリーディングによると、輪廻転生の思想は初期のキリスト教には存在したということで、グノーシス派というキリスト教の一派だけは、古代宗教の教義をずっと保ってきたということです。

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「リーディングによると、初期の教会の指導者たちが、キリスト教をあらゆる人々に分け隔てなく伝えることを決定したときに、輪廻転生に関する教義を削除してしまったんだ。

その理由は、ひとつには輪廻転生というものが説明しづらいということがあったし、もうひとつには理解しがたいということがあったんだ。輪廻転生を考えると、人生が複雑なものになってしまうんだ。

それに今以上に正しく生きることが必要になるんだ。天国に入るために、何度も何度も苦しい人生を体験しなくてはならないとしたら、その事実を受け入れるには、よっぽど強い精神力がないとだめだったんだ。・・・」

「永遠のエドガー・ケイシー」(p・385~386)より抜粋

「聖書にのこる輪廻転生思想」へつづく


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