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               和歌山県、神倉山に登る石段

今日は、ちょっとエジプトの話題から離れたいと思います。

昨年12月、熊野(和歌山県)へ行ったときに、急な石段を登って神倉山の頂上にある「巨石」を見に行ったというお話を書いたことがありましたが・・・→(「伊勢と熊野に行ってきました。」)
そこへ至るまでの石段が、巨石と同じくらい印象的だったので、そのことを書いてみたいと思います。

Wikipediaによると、この急な石段は538段。
自然石を組み合わせて築かれたもので、ひとつの石段はおおよそ高さ25センチ、奥行きは30~40センチであると書かれています。(高さ25センチというと、低い階段の2倍くらいあり、とても昇りにくいです)

江原さんのガイドブックを見て知っていたとはいいながら、実際に現地に行ってこの赤い鳥居の下から上を見たとき、「こんなに急な階段、本当に上まで登れるんだろうか?」と心配になりました。
(この写真には人が写っていないので実感がわきませんが、この石段ひとつひとつがとても大きいのです。)

この石段を登りながら、「昔の人(たぶん太古の時代の人だろうと私は思っているのですが)は、なんでこんな急な石段を作ったんだろう?・・・しかも、ちょっとやそっとじゃ崩れなそうな頑丈な造りの石組みだし。・・・きっと、大急ぎで上に昇らなければならないようなことが、昔、実際にあったに違いない」と思ったのでした。
(神倉神社の歴史的な創建年代は128年頃と考えられていますが、神話時代にさかのぼる古くからの伝承があり、古事記や日本書紀に書かれている天磐盾(あめのいわたて)の山だとも考えられているそうです。)

そして、その「急いで上に登らなければならないような状況」とは、もしかして「津波」ではないかと思ったのです。

しかし、この神倉山(北緯33°・東経136°)は標高120メートルもあり、現在の常識では「そんなに高い津波が押し寄せるはずはない」と思えるような高さですが、もしかすると古代の大変動期に実際にそのような大津波があり、「そのための避難用に造ったのではないか」という気がしたのです。

(ここは昇り始めは急ですが途中からはさほどでもなく、お年寄りでも杖をついて登っていた方がいたので、時間をかけ、普段から訓練すれば比較的誰でも昇れそうな感じの山でした。)

頂上までいくと、驚くことに神社の周りはほぼ断崖絶壁になっており、しかも人間の力ではどうやっても到底持ち上げられなさそうな巨大な石が狭いスペースに3つも置かれているという、まことに不思議な場所なのです。そして、その巨石を祭るかのように神社が置かれています。


280px-Kamikura-jinja01s2048.jpg

そしてそこから後ろを振り返ると海がすぐ下界に広がっており、津波から大急ぎで逃げるにはうってつけの場所であるようにも思えます。

              
            HI3H0489s_2013103019594596e.jpg




私はこの付近のことはよく知りませんが、地図から推測できることは、神倉山のある位置は海岸からたった2キロ位しか離れておらず、かつ河口からも近いので、太平洋側で大きな地震が起きたら、あっという間に海からと川からの遡上(そじょう)で水に飲みこまれてしまいそうな感じの地域に見えるのです。

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ところで、現代でも実際に120メートルなんて津波がありえるのかなあと思ってまた調べてみると、なんと観測史上最高では、524メートルもの津波があったと書いてありました。 

1958年7月9日(現地時間)、アラスカの南端の太平洋岸にあるリツヤ湾 (Lituya bay) で岩石の崩落による津波が起き、最大到達高度は海抜520mに達し、津波の波高の世界記録とされている。。→リツヤ湾大津波

この場合は要するに、大量の岩石が海面に落ちたため、「水がはね返って」起きたのでこんな高さになったようですが、このリツヤ湾ではそうでない場合でも、120メートルを越す津波が実際に起きているのです。

なお、リツヤ湾では1853年か1854年に120m、1936年に147mの大波(いずれも到達高度)が起こったことも明らかになっている。これは、湾周囲の山林に植生する古い樹木を複数伐採して年輪を調べたところ、該当年の年輪の海側に、大きな外傷を受けた痕跡が残っていたことから判明したものである。(wikipedia「津波」より抜粋)


また、Wikipediaのこのページでは、311東日本大震災のとき、津波により海水が「河川を遡上(そじょう)した」ことについも触れていました。

2011年東北地方太平洋沖地震の津波は、利根川の40kmを筆頭に、江戸川3km多摩川13km荒川28kmなど、関東の深部まで到達した。このことから、海に面していない埼玉県でも地震後、津波の被害に対応する地域防災計画の検討を始めるなどしている。

また、遡上する津波が高い場合は河川の堤防を決壊させて洪水を引き起こすことがある。2011年東北地方太平洋沖地震の津波では、青森県・岩手県・宮城県の計22河川が津波により同時に決壊するという未曽有の被害を生じた。

北上川では、河口から49km離れた旧中田町 (宮城県)にまで津波が到達し、農地の大規模浸水が起こっているほか、名取川では太白区・若林区の、旧北上川では石巻市の市街地を濁流に呑み込み、甚大な被害を出した。

特に旧北上川では、堤防が高台であると考えて津波を避けるため避難してきた小学校の児童たちが、遡上した津波に呑まれるという悲惨な出来事も起きている。

津波の河川遡上という現象自体が一般に知られていないため、津波の際に人々が海岸から離れることはあっても、河川から遠ざかろうとすることはまれである(以上抜粋)




これから起こる「津波」は、(最近は台風にしてもも何でもそうですが)、常に「前回のものよりもっと大きいかもしれない」、あるいは「今までの記録を更新するかもしれない」という覚悟をしておいたほうが無難なのかもしれません。



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ところで、以前に書いた記事「ナイル川の不思議」太陽船の儀式に関することですが、この儀式が非常に古いもので、かつ長く続けられた重要な儀式であったことが述べられている部分があったので、それを「創世の守護神・下」から抜粋してみたいと思います。
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ファラオ王朝のすべての権力、勢い、存在意義は、ホルス=王が超自然的な探索の旅に出かけるために必要なすべての儀式の道具立てを提供することにあった。

探索とは、時間をさかのぼり、父オシリスの地上と天空の領域に旅することだった。これがファラオの人生における最大の目的だった。 

この旅の終わりに、オシリスの星の姿という究極的な聖杯が横たわっていた。そこに至るには、多くの危険や困難、試練を乗り越え、多くの奇跡と恐怖を通り過ぎなければならなかった。・・・

・・・ここでもう一度、「太陽神の子でオシリスの息子」というホルス=王の二重性が、重要なポイントであることを強調しておこう。ピラミッド時代に行われたオシリスとホルスの偉大な儀式の真の謎はここに潜んでいる。


オシリスの元に導かれるファラオ
オシリスの元に導かれるファラオ。右にいるのはホルス神。


・・・E・A・ウォーリス・バッ卿もまた、ファラオ王朝は最初から、代々続くホルス=王に正しい儀式を与えようと全面的に献身していた、と見ている。
王はドゥアトの中を「旅」して、「地平線」のオシリスの二つの領域を訪問したのだ。

(エジプト人は)自身や死者が不滅性を達成し、「永遠の王であり永久不変の支配者」の領域に入れるなら、懸命に働くことに何ら苦痛を感じなかった。

死んだオシリスの代理として、ホルスやその「息子たち」や「従う者たち」(ホルスに従う者たちと呼ばれた神官たち)が演じる儀式の伝承は、第四王朝の時代においても・・・すでにきわめて古くからあるものだった。
(エジプト第4王朝は 紀元前2613年頃 - 紀元前2494年頃 )

この儀式は大切に保存され、代々の王朝に忠実に伝授されている・・・儀式で朗読されたと言われる式文は、何世代にもわたって書き写されてきた・・・

つまり王の存在は、二つのドゥアトを結びつける者としてきわめて重要だった。

ドゥアトの一つは空にあり、一つは地上にあり、悠久の「最初の時」と同じように、それぞれに「オシリス王国」があるとされていた。だからこそ、ホルスの偉大な「旅」は、天空と地上で並行して行われた。

そのドラマとは、次のようなものだ。

①天空において、ホルス=王は「太陽の息子」である。
 太陽の円盤の軌道に従い、「宇宙の川」を太陽の帆船で渡り、入り口に着く。

ここから東の地平線にある「父オシリス」の天空のドゥアト導かれていく。

 そこから一つの「道」を通って、ドゥアトの中心ロスタウに行く。
 そこは(今も昔も)オリオン座のベルト・スターの中にある。


②地上において、ホルス=王は人間の身体を持つ「オシリスの息子」である。
 地上の道に従い、太陽船でナイルを渡り、入り口に至る(大スフィンクス)。

 ここから西の「地平線」ギザのネクロポリスにある「父オシリス」の地上のドゥアトに導かれる

 そこから「道」を旅して、ドゥアトの中心ロスタウに行く。
 そこには(今も昔も)ギザの偉大な三つのピラミッドがある。
                              
                            (以上「創世の守護神・下」p・4~6より引用)

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・・・でも、こうして書いてみて私が疑問に思ったところは、
①の文中の「東の地平線にある「父オシリス」の天空のドゥアトへ導かれていく」というところだ。

もしも、この儀式が紀元前10500年の天界のようすを地上に映したものならば、ナイル川で太陽神ラーの船が東から西に渡ったように、空の太陽神も「東から西へ」宇宙の川をよぎらなければおかしいのではないか・・・?

地上でナイルを「東から西へ」横切った動きは、天空でも「東から西へ横切る」という動きでなければならない。

ということは、天空の太陽神も「西へ」いかなければおかしいのではないだろうか?


    DSCF6004.jpg

ギザ・ヘリオポリスの辺りから見て天の川は南に走る縦の川であった。そしてオリオン座はその右側にあったはずだ。ということは、この時代、オリオン座は「西にあった」のだ。

オリオン座が、「冥界の王」であるオシリスに関連づけられているのは、もしかしてエジプトの「西方=死者の世界」という概念と関連しているからではないのだろうか・・・?


      o0400022912083589678.jpg

     新王国時代第18王朝の貴族・センネジェムの墓室の壁画に描かれた太陽神。
太陽神ラーは西の方に向かっているが、西を目指している=あの世に向かっているということなのだそう。(しかし、なぜか生命の象徴であるアンクをもっている)



そう思って「創世の守護神」をもう一度読み返してみましたが、誤植などの間違いではありませんでした。

ややこしくなるので省略しますが、ハンコックは紀元前2500年ごろの夏至(シリウスのヘリアカル・ランジングが起こる日)の70日前からの太陽の軌道を追いかけ、それが黄道に沿って東向きにナイルを横切り、獅子座のレグルスという星と合体する現象により、「ホルアクティ」とは獅子座だったと結論ずけているのです。 
(このあたりのことは、書いている私にも意味がよくわからないので、読者の方はなおさら分からないと思います)


しかしよく調べてみると、ハンコックが上記のように推測した根拠は「行け、東の空へ・・・」と指示している、以下のピラミッド・テキストの箇所をもとにしているようなのです。(かっこ内は筆者)


(ファラオ)はラー(太陽神)とともに巨大な帆船に乗り、出港する。

王は地平線に帆船をすすめる・・・

王はラーと同じように、うねる水の道(ナイル川・および天の川)の河岸で帆船に乗り込む・・・


うねる水の道は氾濫している・・・あなたはそこを渡り地平線に行く。

そこは神々が生まれたところだ・・・あなたの妹(同伴者)はソティス(シリウス)だ・・・


うねる水の道を渡ってください・・・空の東側 に行ってください。


お座りください・・・地平線に・・・

彼(ホルス=王)はうねる水の道の河岸で、ラーのように帆船に乗り込む・・・



              天の川とナイル川
           

そして、次のようにつづく。


天空の葦舟は私のために用意された。そこで船に乗り、地平線に向かう。

そこで船に乗り、地平線に向かう。ホルアクティ のところへだ・・・・

あそこ、東側の空だ・・・・ラーから呼び出された・・・ホルスとして、地平線の住人として・・・


ホルアクティ のために空の扉は大きく開かれている・・・

空の扉は東のホルスのために、夜明けに大きく開かれている・・・・・・

行け・・・地平線にいるホルアクティへ・・・空の東側、そこは神々が生まれたところ

 
                               (以上「創世の守護神・下」p・10~11より)




・・・しかし、ここで言われている「ホルアクティ」とは、双子のかたわれ=「水瓶座」のほうのことではないのか?
            

「獅子座」の時代に天の川を「東から西に」横切った太陽神は、13000年という長い時間をかけて宇宙空間を航行し、Uターンして、再びいま天の川を「西から東に」横切ろうとしているのではないだろうか?

その向かう先には春分の日に東の地平線から昇る「ホルス=鷹」の神が待っている。


                  

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すなわち、エジプトでは「ナイル川をはさんで右側(東)は『生者』(生きてる者)の世界、左側(西)は『死者』の世界、という風にはっきり分かれているのだ」と・・・

ナイル川を渡ってたどり着いた河岸神殿はナイルの西側にあります。

そして、太陽船で渡ってきた王(ファラオ)は東岸から来ています。なぜなら、生きている王の住居は必ず東岸にあるはずだからです。

これを天空のナイル川と太陽神に当てはめてみると、どうなるか?・・・




まず、古代エジプト人がなぜ「ナイル川をはさんで右側(東)は『生者』の世界、左側(西)は『死者』の世界」という風に分けたのかということと、その起源がどれほど古いものなのか、という2点については私自身まだ勉強不足でよくわかっていません。

でももし、この太陽船でナイルを渡る儀式が行われていた時点からそのように決められ、計算された上で行われてきたとしたら、これは太陽神の死(私には「太陽神の死」ということ自体、太陽のどういう状態を指しているのかまだよくわからないのですが…。)を示そうとしたのかもしれません。

(「最近の太陽活動がこれまでの190年のあいだで最も弱いようだ」ということを取り上げていた記事があるので興味のある方はこちら…「太陽活動が『過去200年で最も弱い』ことが確定しつつある中で太陽活動は復活するか」

また、多くの人類がそれに伴って死んでしまったことを示そうとしたのかもしれません。これからの太陽の状況がどのようになるにせよ、非常に気になるところではあります。

ところで誤解のないように書いておくと、上記の儀式が示すものはあくまでもスフィンクスが示すように「獅子座」の時代のことだということです。なぜなら、「創世の守護神」を書いたハンコック自身、この儀式を「ゼプ・テピ」と呼ばれた「最初の時」にさかのぼる旅だと言っているからです。
 

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  (上の写真にある「30million years」という数は、本文と関係ないので気にしないでください。)

ところで、太陽系が「蛇行しながら銀河平面を横切っている」というのなら、繰り返し横切っているわけですから「反対方向から横切る動き」というのもまたあるはずです。

そして、横切る時期は獅子座の時代と、それから最差運動を半周した我々の生きているみずがめ座の時代です。なぜなら、今、まさに我々がそれ(大変動期)を経験しているからです。


             DSCF6099.jpg
                   上が獅子座、下がみずがめ座

(ちなみに、精神世界を信じる人たちの間でだいぶ前から「フォトン・ベルト説」というのがあり、それによると「光子」(フォトン)という光の粒子のベルト地帯に入るのも春分点が「獅子座」と「水瓶座」の時代だといいます。これはいわば人間を始め、地球上のあらゆる存在の進化を促進する“通過儀礼”のようなものだというのです。)

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・・・そんなことをとりとめもなく考えていたら、ピラミッド・テキストに書かれている「ホルアクティ」が、どうも「水瓶座」のことであるらしいことに気がついたのです。

(以下は「創世の守護神」から自分なりに要点をまとめたものです。)

歴史以前の原初の神「アトゥム」は、ライオンあるいはスフィンクスの姿で表わされ、太陽神ラーと合体して「ラー・アトゥム」としてヘリオポリスの神官たちによって崇拝された。

古代エジプト人はスフィンクスをさまざまな名前で呼んでいたが、そのひとつが「シェセプ・アンク・アトゥム」(アトゥムの生きた姿のイメージ)であることからも、スフィンクスとアトゥムの同一性を疑う必要はない。


スフィンクス・横から見た

一方で、ラー・ホルアクティ鷹の頭を持ち、その上に太陽の円盤を乗せた人物として描かれている。

ホルアクティの文字通りの意味は「地平線のホルス」だ。

          ホルアクティ
               

時の流れの中で、アトゥムがラー(太陽の円盤の姿)と合体し、最後に鷹の頭を持つホルアクティ(地平線のホルス)となり、ホルス=王を表わすようになった。

その結果として、合体した神「「アトゥム=ラー=ホルアクティ」」が生まれた。

1882年から83年にかけて、エドアール・ナヴィルが発掘した新王国時代の遺跡から、「アトゥム=ハルマキス」を祭る遺品が多く出土した。ハルマキスはスフィンクスの姿をとるだけでなく、「鷹の頭を持つ神、あるいは太陽の円盤を持つ鷹の頭」で示されることもあるという。

「ハルマキス」とは、古代エジプトの「ホル・アン・アケト」という言葉をギリシャ語読みしたものだ。
「ホル・アン・アケト」とは、「地平線にいるホルス」あるいは「ホルス・地平線の住人」を意味する。


             地平線のホルス=ホルアクティ

(ちなみに右の絵は2匹のライオンが背中合わせに座っていますが、こういうライオンが一対のものは「Rwty」(ルティ)と呼ばれ、ピラミッド・テキストにたびたび出てくるそうです)

これらの興味深い合体物、ライオン・鷹・太陽神の名前が、直接的に、互換性を持ちながら、ギザの大スフィンクスを呼ぶのにたびたび使われている。


しかし、ハンコックもなぜか「ラー・ホルアクテイ」が水瓶座のことだとは断定していません。というのも、このように書くにとどめているからです:


「興味深いことに、エジプト学者たちはホル・アン・アケトとホルアクティの名前を、「二つの地平線のホルス」と翻訳することが多い。・・・・・・・そこで、もしホル・アン・アケトが西の「ギザの地平線」の大スフィンクスならば、双子のホルアクティを探すには、東の空の地平線を見るべきではないか?・・・・・

・・・・・・確かにホル・アン・アケトという名前は、ピラミッド・テキスには出てこない。だが、ホルアクティの方は繰り返し登場する。古代の碑文は、数百回も「ホルアクティ=地平線のホルス」について語っている。

それらはすべて「夜明けに東の空に昇る神」として現れる。」 (以上引用)


                       aqr_l.gif


        432px-Milvus_migrans_govinda_20130224040655.jpg
        (上の2つの写真は筆写による。)

(水瓶座が、文化によってハヤブサやワシなど猛禽類の鳥にもたとえられた話は以前にも書きましたが、ご存知でない方はこちら…「アンコールつづき」

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    Nile_River_.jpg

今回は、以前の記事で「古代エジプト人は・・・必要ならばナイル川の形を変えて天の川に見えるように整えることさえ可能だったのではないか」と書いたわけについて、少しばかり説明したくて上の写真を貼ってみました。

ご存知のように、ナイル川は南北に伸びるとても長い川ですが、上に貼ったのはそのうちナイル川の「デルタ地帯」と呼ばれる河口付近の写真です。

川が支流に分かれて扇状に広がりはじめる、まさに付け根の辺りにピラミッド群のあるギザ台地もあるわけですが、この扇状地、あまりにも形がきれいすぎて人工的な感じがすると思ったことはありませんか?
(上の写真で見ると、緑色の部分がきれいな扇形になっていますね)

           egypt-map_20131012021425961.gif
(http://www5b.biglobe.ne.jp/~moonover/bekkan/bigin/egypt-tizu.htmよりお借りしてきました)

うまく言えませんが、自然の川ってこう・・・もっと違う形をしているような気がするのですよ。
これだけ長い川なのですから、たとえばもっと南のほうから枝分かれしているとか、もっと川全体が左右に蛇行しているとか・・・

ナイル川の形を俯瞰すると、エジプト国内においては多少の曲折はあってもだいたい南北に伸びていて一本道なのに、大ピラミッドのあるギザの辺りからは急に枝分かれして見事な扇状地を形作っている・・・どこか不自然といえば、不自然な気もしませんか?

でも、もしもその理由が、「ナイル川と天の川の形を完全に一致させようとして」整えた結果なのなら、説明できるような気がするのですよ。

つまり紀元前10500年の天の川は、古代エジプトの重要な儀式が行われたギザの辺りから見ると南の空に縦に走っていたようなので、ナイル川を一本にしなければ(つまり枝分かれしてない状態)、天の川と一致させることはできないからです。
(ちなみに、川が途中で右や左に曲がってしまってもまずいわけです。

もしかすると太古の昔、ナイル川はもっと自然な川の姿をしていたのかもしれないなあ・・・と思ったしだいです。

たとえばちょっと想像を膨らませれば、このナイルデルタの支流は、もともとはもっと手前から分岐していたのかもしれないなぁ・・・とか。それらをギザの手前で無理にひとつに束ねてしまったような感じの形にも見えるのです。

または、最初からパピルスやロータスのような形を意図して造ったとか・・・


      2009-10-24c.jpg
       https://www.seibu-la.co.jp/mizunomori/2009/10?cat=4より
       熱帯スイレン・カエルレア  Nymphaea caelurea
「Blue Lotus of Egypt」と呼ばれる「エジプトの青いスイレン」とはこのカエルレアをさします。
古代エジプトで祭事に多く使われ、壁画やパピルスなどに描かれています。


            
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ところでハンコックによると、古代エジプトでは、王(ファラオ)は王自身とエジプトのために、ある大事な儀式を行ったといいます。 
(以下、グラハム・ハンコック、ロバート・ボーバル共著、「創世の守護神」 完全コミック版より、絵があったほうがわかりやすいと思って抜粋させていただきました。

古代エジプトでは毎年夏のある日

それは北半球で昼が一番長く、地球の北極が太陽にもっとも近づく「夏至」の夜明け

ラー(太陽神)でありホルス(オシリスの息子)である王は、その王宮を出発する…!!

          DSCF6042_20131012165256b28.jpg


王の船はナイル川の河口にいたり、そこから「太陽船」に乗る・・・


     DSCF6035.jpg



ナイル川は「うねる水の道」と呼ばれ・・・天空の天の川も「うねる水の道」と呼ばれていた。

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ナイルの水平線では太陽神である王を乗せた(太陽)船が「うねる水の道」をのぼり・・・

ちょうど同時刻に…

地平線上の天空でも天の川の「うねる水の道」を太陽が昇り始めようとしていた・・・

地上と天空で並行して儀式が進行されていることになる・・・


     DSCF6030_20131012164153a35.jpg

そしてその天空ではオリオン座の三ツ星ベルトが太陽に先駆けて輝いている。

この三ツ星の一番下の星…
アルニタクこそ…

オシリスの星と言われている!!

    DSCF6053.jpg



地上の「太陽」太陽神ラーである王も太陽船に乗り、天の川と同じ「うねる水の道」を上り、
オシリスから再生・不滅を得るための旅をしている…

この儀式は、死後の冥界オシリス王国に行くための地上における再現シュミレーションである・・・


    DSCF6059_201310132253592ee.jpg



王を乗せた太陽船はある河岸に着く…

そこには大スフィンクスが待っている… 

    DSCF6044.jpg

(☆ナイル川の上流にアスワン・ハイダムができるまでは、ナイルの水は毎年夏には増水して河岸神殿まで来ていたので、船で通行することができたそうです。)

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ところで、以前にテレビ番組で吉村作治先生が言っていた言葉を思い出し、思わずぞっとしてしまったのです。

すなわち、エジプトでは「ナイル川をはさんで右側(東)は『生者』(生きてる者)の世界、左側(西)は『死者』の世界、という風にはっきり分かれているのだ」と・・・

ナイル川を渡ってたどり着いた河岸神殿はナイルの西側にあります。

そして、太陽船で渡ってきた王(ファラオ)は東岸から来ています。なぜなら、生きている王の住居は必ず東岸にあるはずだからです。
(ちなみに太陽神信仰の中心地であり、同時に天文観測の中心地でもあったヘリオポリスもこの辺りにあったことに注目してほしいと思います。・・・「ヘリオポリスの天文学」


これを天空のナイル川と太陽神に当てはめてみると、どうなるか・・・??


これから先は、また次回に送りたいと思います。 




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(関連記事…ヌトとゲブについての仮説

  

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前の前の記事( 「うねる水の道」に関する考察 )のつづきです。

「太陽系が銀河の赤道平面を通過するという行為(つまり、天の川の中心付近を太陽系が通過するという行為)を、地上のナイル川にそのまま映そうとすると、果たしてどういう風になるのかを・・・?」

「つまり、それは「ナイル川を横切る」、「ナイル川を舟で向こう岸に渡る」、という行為にあたるのではないでしょうか」という私の考察についてです。

(これは以前に抜粋した記事 太陽系が置かれている状況 のアレクセイ・デミートリエフ博士による論文、「銀河系の軌道上にある太陽系がエネルギーの強い星間雲の中に突入しつつある」という論文から、

「地磁気の異常の基本的な原因は、太陽系全体が天の川銀河の赤道平面を通過しているからである。」という部分から推論したものです。)


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   (上の図の、「30million years」という文字は、本文と関係ありません。)
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話が飛びますが、大ピラミッドの横に埋められていた「太陽船」のことについて考えてみたいと思います。   
              

             復元されたクフ王第一の船
             すでに復元されて展示されている第一の船 (正面から見たもの)


(私はこれについてはクフ王の船だとは思っていませんが、ウィキペディアでは「クフ王の船」となっているのでこれにより抜粋
  
クフ王の船(クフおうのふね、通称「太陽の船」)とは、1954年および1987年にギザの大ピラミッドの付近で発見された2隻の船である。クフ王の船は紀元前2500年頃、古代エジプト・古王国時代第4王朝のファラオであったクフのために造られたとされている。

クフ王第一の船は全長42.32m、全幅5.66mもの大きさで、古代の、最も古く、大きく、保存状態の良い船の1つである。主に杉板で作られていた。

クフ王第一の船は649の断片に分解された状態で、ギーザの台地に掘られた石坑に封をされていたため、船は発見されるまで全く乱されていなかった。現在では、エジプト考古庁によって28年の歳月を掛けて発掘・復原が行われ、ピラミッド脇の博物館に展示されている。



「目的」の項には、

クフ王の船は何のために造られていたかはわかっていない。太陽の神ラーの元、復活する王を運ぶ儀式の船に似ていたため「太陽の船」と呼ばれている。しかし、実際は水で使用されたと見られる跡があった。

現在の研究では、クフ王が死んだ際、メンフィスからギーザまで王の防腐処置を施した死体を運ぶために使用されたか、クフ王自身が巡礼地を訪問するのに「巡礼の旅船」として使用されたのではないかとされている。

また、クフ王が来世で使用するために埋められたのではないかという説もある。
 

とあります。要するに、まだその用途については調査中ということになっているようですが、ここで注目してほしかったのは、「実際に水で使用されたとみられる跡があった」という部分です。 


         太陽船
                                  尾部から見た船の外観

そう言われてみると、船体の下のほうの木材は黒ずんでおり、水の上を何度も使われたような形跡があります。
しかも、何のために使われたのかはまだわかっていないというのです。

ところでハンコックの書いた「創世の守護神」にはコミック化されたものがあり、これがまた豊富な挿絵によってわかり易く大変面白いのですが、それによるとこうした船は、大ピラミッドだけでなく、クフ王の息子であるジェドフラーなど、他のピラミッドの傍からもみつかっているといい・・・

船は「数百万年の船」・「オシリスの帆船」・「ラーの帆船」などと呼ばれ、古代エジプトの埋葬テキストにたびたび登場し、

これらの「船」や「帆船」の特徴は、船首と船尾が高くなっていることで、これをモデルにした絵や彫刻は、エジプトの墓の壁に数多く発見されているとのことです。
       middle_1161840802_20131004093407d1a.jpg
       「朝の舟マァジェント」・・・眩しく輝く太陽神ラー(頭がスカラベの形をしているのがそれです)、とその記録係のウェネブ、正義の女神マアト、叡智の神ジェフティ(トト)、舟の舵を取るヘル(ホルス)が乗っているということです。
(いずれもゼプ・テピと呼ばれるエジプトの最初の黄金時代にいたとされている神々。) 
     

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                「夜の舟メセケテト」・・・夜の死者の国を通過していくという。
                     真ん中にいるのはクヌム神(ナイル川の神)。


現代エジプト学者たちの解釈によると、「太陽の船」は宗教的機能として「死んだ王(ファラオ)の魂を乗せ、天空の旅へ船出して、(ファラオの魂を)天国へ運ぶためのものだという。

        


              DSCF6011.jpg

                                             (つづく)

関連記事…天の川銀河を航行する太陽の舟
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