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古代のことがらを学ぶことによって、現代の指針とすることができるのではないかと思っています。

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また久しぶりの更新です。漫画の続きを待ってくださっている方々には、お待たせしてしまって大変申し訳ありません。まだしばらくかかりそうですが、年内には終わりまで載せたいと思っていますのでどうぞよろしくお願いします。

代わりといってはなんですが、古代エジプトの葬送儀礼についてコピーしておいたものがあるので、その中から重要なところを抜粋して載せてみたいと思います。

クフ王が亡くなった時からの死後の旅路について書かれてあり、古代エジプトの王が亡くなった後、どのような行程を経て来世への道筋をたどっていったのかを推測する助けになると考えられます。


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図説「大ピラミッドのすべて」(ケヴィン・ジャクソン、ジョナサン・スタンプ著、2004年第一版)より

遺体の処理(p.138~) 

エリート層に属する人々の場合、遺体の処理は川を渡るという重要な象徴的儀式を経る前に行われるのが通例だった。

時代が進むにつれて、死から埋葬までの期間は70日に定められるようになったが、古王国時代にはもっと長かったようで、第四王朝の王妃メルサンク三世の例をとると、実に272日の長さに及んだ。

そうなると、クフの遺体は葬儀のずっと前になんらかの処置が施された可能性があるが、実際に処置が施されたのは川を渡る儀式のあとだったことをほのめかす証拠がある。

そこで、クフが崩御した直後の彼の住まい(おそらくメンフィスにある王宮)から話を始めることにしよう。

船旅

クフが死去したのが、本来の住まいであるメンフィスの王宮であったかどうかはわかっていない。 

クフがナイル川の東岸で死亡したとするなら、その臣下の多くと同様にナイル川を渡る必要があったことになる。・・・・・・。


       img08.jpg
    〈 葬送用模型船 〉 中王国第12~13王朝(前1976~前1646年頃)
エジプトにおける最も重要で唯一の交通の手段は船であった。この模型船は、魔法の力で、アビュドスにあるオシリス神の聖地へと死者を運ぶ船である。(写真は こちらよりお借りしました)



葬儀船がピラミッドの近くの港に接岸すると、王の遺体は「天空の扉」と呼ばれる建造物の正面に降ろされる。

遺体がミイラ職人によって処置を施されているなら、ピラミッドへ向かってそのまま進んで行ける。

もし処置を施されていなければ、不浄のままネクロポリス(死者の町)に入ることは許されないため、イブ・エン・ワァブと呼ばれる「清めのテント」に運ばれる。・・・・・・。

イブとワァベトの中で何が行われたかは明らかになっている。遺体を解体し、完全に乾燥させたのである。

・・・・・・もっとも無理のない解釈としては、脳やその他の内臓はイブで取り除かれ、残りの遺体はワァベトへ運ばれて、70日間かけて乾燥されたのではないかと思われる。


      img07.jpg
〈ウアフイブラーのカノポス容器〉
末期王朝時代、第26王朝(前664~前525年頃)容器には、ミイラ作りの際に摘出された内臓が納められていた。
イムセティ神は人間の姿で肝臓を、ハピ神はヒヒの姿で肺を、そしてドゥアムウトエフ神はジャッカルの姿で胃を、ケベフセヌウエフ神はハヤブサの姿で腸をそれぞれ守っていた。



内臓の摘出と乾燥が無事終わると、遺体は雄牛が引くそりに乗せられ、墳墓のある西へと向かった。

その荘厳な葬列には、一人または二人の鳶(トビ…泣き女のことと考えられる)と神官たちが加わり、大量の貴重品を携えた男性があとにつづいた。

貴重品とは、ふつうに死後の世界に必要とされる品々だったが、その規模はこの上なく壮大で、食料、油、衣服などの必需品のほかに、道具類や武器も含まれていただろう。

そりを引いた雄牛も葬列が終わると生贄(いけにえ)にされ、その大量の肉は死者に捧げる食料のなかに加えられたのかもしれない。

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 古代エジプトの壁画に描かれた葬列


死後の世界に欠かせないもの (p.134~)

古代エジプトの死に関係した慣習のうちで特質として三つ目に挙げられるものは、葬儀と葬祭儀礼の双方に理論体系を与える一連の信仰である。

墓地は西にあったため、遺体を埋葬所に運ぶには、しばしばナイル川を船で渡る必要があった。

しかし、ナイル川を東から西に渡るという行為は、現実的な必要にせまられただけでなく、生から死への旅立ちという象徴的な意味合いも含んでいた。

遺体を乗せた船か、そのすぐ後ろの随行の船には、故人の若かりしときの姿を模した彫像(カーの像)が乗せられていた。

本物の遺体が損なわれた場合にも、この彫像が来世において肉体の代わりを果たすと考えられたのである。

         ka.jpg
ホル王の等身大のカー像 (木製)
前1780年頃に製作されたもので、ダハシュールの墳墓で発見された。
(写真はhttp://www.wikiwand.com/ja/紀元前18世紀より)


……しかしながら、エジプトにおける葬儀の慣習の中で、もっとも際立ったものをひとつ挙げるとしたら、それは埋葬そのものが終わったのちに始まるものだろう。

現代でも、喪に服する期間をもうけたり、死者の命日に祭事を執り行ったりする文化圏はほかにもあるが、古代エジプトの場合、死者に対する義務は、そのように周期的な祭事を行うよりも、はるかに重いものだった。

死者が来世へと旅立ったあとも、数か月、数年、いや数世紀にもわたって、絶えず供物を捧げなければならなかったのである。

食料を定期的に墳墓もしくは礼拝堂にもっていき、その効力を確実にするために食料の名称を声に出して言わねばならなかった。

礼拝堂での儀式については、神官階層の者(カーの従者)たちが万事ぬかりなく継続していった。

死者がまだ存命中に、そのような儀式を何世代にもわたって継続していくことを神官に約束させるのである。

王の場合、このような祭事は壮大な規模で行われた。

アブ・シールにある第五王朝の王ネフェリルカラー・カカイの神殿を調べると、30人ほどの常勤の人々が、死者に食料を運んだり、儀式を執り行ったり、また料理人、建設業者、運搬人、洗濯係としての奉仕を行っていたことがわかる。

(死者が食料を「口にする」行為は人間には見えないため、労働者たちは一日が終わると、供物を自分の家族のもとに持ってかえることが許されていたようである)

ネフェリルカラー・カカイの神殿で行われた奉仕は、200年以上、あるいはもっと長期にわたって継続されたらしい。


墳墓での儀式

……最初に祈願について説明しよう。

ここでいう祈願は「声に応じて出現する」儀式のことで、奉献したばかりの供物、ならびに今後奉献することになる供物を食べるように亡くなった王を呼び出すことを目的としている(一部の葬祭テキストには、儀式のこの段階で雄牛が生贄にされたと記してある。)

次に行われたのは「口開けの儀式」で、王が死後の世界においても呼吸をし、食べ、口がきけるようにするために呪文を唱えるというのがその主眼である。


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口開けの儀式のようす

……この葬列の最後まで、王に付き添った者の数はどれくらいだったのだろうか。第六王朝のテキストには、80人の者が玄室に入るのを「許された」と明記してあるが、全員が同時に列席したかどうかは記されていない。

……王の亡骸(なきがら)はゆっくりと赤色花崗岩の石棺に下ろされ、儀式が執り行われた。

……クフの葬儀に関しては、わたしたち現代人の知識は断片的なものにすぎない。

その知識は、クフの遺跡そのものに残された物的証拠やその他の墳墓で収集した情報にもとずいた憶測に限られている。

現在までに発見された墳墓の装飾で、クフやその他の王の葬儀の様子を表したものはひとつもない。

細かな情報源としては、当時の高官の埋葬方法に関する記録のほかに、王に対する古代エジプトの教義やその他の儀礼慣習の一部について明らかにしたテキストがあるのみである。

こうした情報源のなかでも、とりわけ重要なのがいわゆるピラミッド・テキストで、この資料はエミールとハインリヒのブルクシュ兄弟によって発見された。……

現在ではピラミッド・テキストは、エジプトの非常に古い宗教書からの抜粋であることがわかっており、その主題は王の永遠の生である。


(p.145~)

それでは、来生において王はどうなると考えられていたのだろうか。この問いに答えるためには、クフの葬儀と墳墓について、エジプトの宗教を背景にした幅広い検証が必要になってくる。

……すでに述べたように、わたしたち現代人がピラミッドに対する理解を深めるには、ピラミッドを死者のための機械ととらえるのがひとつの有益な方法だろう。機械という比喩は実質的な意味合いにおいて当を得ている。

・・・しかし、この「機械」という比喩は厳密に精神的な(スピリチュアルな?)意味合いにおいても、当を得ているのである。
たとえば、「王の間」から重要な星の方角に向かって伸びた奇妙な細い斜坑を思い出してほしい。

さらに「機械」という比喩は、ピラミッドそのものから、王の葬儀にまで拡大することができる。
ピラミッドの仕組みを全体としてとらえようとすると、王の葬儀は本質的に、その重要な部分を占めているのである。

(p.148~)

ピラミッドの構造は、この重要な機能を象徴的に表しているか、そのような機能を実際に果たすために設計されたか…おそらくはその両方…であることが、ますますはっきりしてきたように思われる。

・・・正確な事実がどうあれ、ピラミッド・テキストのおかげで、核心部分については確信をもって語ることができる。
それは、王が星の世界へと昇っていったということである。

これによって、「王の間」からひとつはオリオン座の方角に、もうひとつは周極星の方角に伸びた不思議な細い斜坑の役割がなんであったかを説明できるだろう。

あの二本の斜坑は、比喩的な意味でも文字通りの意味でも、クフが「不滅の者たち」の仲間に加わり、星となるための通路だったのである。


      sakkara10.jpg
ウナス王のピラミッドの玄室内部。 天井には満天の星空が描かれている。


ウナス王のピラミッドテキスト
上と同じくウナス王の玄室内部。壁には王の来世の復活と繁栄を願う祈祷文の浮き彫り(ピラミッドテキスト)がびっしり施されているが、ここのピラミッドテキストは世界最古のものだといわれている。


(以上抜粋、写真などの挿入は筆者による。


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