古代のことがらを学ぶことによって、現代の指針とすることができるのではないかと思っています。

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2013 07 14:30:24

散りゆく桜を見ながら

先日、近くの公園に最期の桜を見に行きました。「最期」と書いたのは、もうそろそろ全部散ってしまうのではないかと思い、その前に一度見ておこうと思ったからです。

その日は強風で、公園に近づくにしたがって白い桜のはなびらが、びっくりするくらいたくさん私の上に降ってきました。もう夕暮時だったので人もまばらな中、満開だった桜が容赦なく花びらをもぎとられて飛ばされていく様を見るのは、壮絶でもあり、哀れでもあるような、そんな光景でした。

その花びらを見ながら心に思ったことがあったので、うまく書けるかどうかわかりませんが、やってみたいと思います。


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ここのところ、前記事にも書いたように相模湾周辺に大きな地震の来そうな気配があるので、実家の母にも念のため、災害対策をするようしきりに勧めていたときのことでした。

うちはまだ両親とも健在ですが、非常に気がかりなことには、二人共、およそ災害には無頓着なことです。

昨年の311の時に原発事故がおきた時でさえ、ここ(神奈川県)の放射能などまったく気にしないで暮らしていましたし、原発はおろか地震対策もロクにしないままここまで来てしまったという、ある意味災害強者(ツワモノ)です。そんな二人に私がうるさく言ってみても、いっこうに耳を貸してはくれません。

そこで、せめて両親の寝ている部屋だけでも家具が倒れないように耐震金具をつけて欲しいと説得を試みましたが、未だにつけてくれません。洋服ダンスが壁沿いにづらりと並んでいて、全部が両親の寝ている方向に倒れてくるのが分かっているにもかかわらず、です。
(洋服ダンスの上に耐震金具をつけるには、タンスの上に天井までびっしりと積み重ねられた物をまずどかさなければならないので、二人共これをやるのがおっくうなようです。)

見かねて私が手を出そうとすると、「あ~、やめてやめて!イライラするから」と拒否反応を示すので、勝手にわたしが片付けることさえできません。実家はあまりにも物が多いので、対策をするのにはどうしてもまず物の「処分」、あるいは「移動」が必要なのですが。

そんな母にほとほと閉口して、どうしてそんなに無頓着でいられるの?・・・と聞いたときのことでした。
母の口から出てきたのは、思いがけないことばでした。

「そうねえ、だって・・・私たちが子供のころには、空襲警報が鳴って、米軍機が来るからいっせいに防空壕に逃げるんだけど、逃げられれば運がいい、だけど逃げられなければ死ぬって、もう覚悟してたから。

・・・・・・そう、もう覚悟してたのよねえ・・・子供のころ。・・・逃げられなければ、死ぬって。」


(ちなみに母は昭和10年生まれで、千葉県出身です)

それを聞いた時、わたしは母のあまりのいさぎの良さにあっけに取られました。
母が私とはまったく別の種類の人間のように感じられたからです。

わたしは、「死」とは誰にとっても怖いもので、普通ならなんとか逃れたいと思うのが当たり前だと思っていました。
それなのに、それを覚悟していたなんて・・・・・・・?

戦争が始まったときには、母はまだ十歳かそこらのはずです。
(その後調べたところ、太平洋戦争は昭和16年に始まり3年8ヶ月続いたとあったので、母が6歳~10歳までだったとわかりました。)

空襲警報が鳴って、米軍機が来るからいっせいに防空壕に逃げる。。。。
当時はまだほんの子供だった母にとって、それはきっとよほど怖い状況、怖い体験であったに違いありません。
しかも、一度や二度ではなかったかも・・・。
私には、子供のころにそんな体験をさせられてしまった母がとても気の毒に思えました。

そこでようやく私は、今まで災害対策を訴えても、いっこうに母が関心を示さなかったわけが分かった気がしました。
母が災害への備えをしないのは、決して災害が来ないと思っているわけではなく、驚くべきことに「死」そのものへの覚悟が出来てしまっていたからだったんだということを。・・・それも、はるか昔の子供時代に。

それに比べ、災害の時、いかに助かろうかと汲々としていた自分が恥ずかしく思えました。
わたしには、母がとても強く悟った人間のように感じられました。
考えてみれば、世の中で死ぬことを恐れない人間ほど強い人間がほかにいるでしょうか・・・?

昨年の原発事故で、私が「放射能がここまでくるかもしれない」と言ったときも、そして今、「富士山が噴火するかもしれない」と言ってみても、「ああそう、それじゃあしょうがないわねえ」と言ったきり、一向に動じようとはしないのです。

そして、その次に私に訪れたのは、「物を溜め込まずにはいられない」、ということへの理解でした。強い感情体験は「トラウマ」といって、以後の人生に影響を与え続けるといいます。わたしは、母に聞いてみました。

もしかして、物がいっぱいないと、心配なの?」

「・・・そうねえ、物がいっぱいあると、安心ねえ。」 

・・・(やっぱり。)

 
私は、こんなにも長く関わってきたのに、母のことを本質的には全く理解していなかったような気がして、ちょっぴり恥ずかしくなりました。そして、これまで物の片付けを散々やかましく言ってきたことを、後悔しました。

恐らく、父も母も戦争の時に物が欠乏した強い不安体験があるのでしょう。強い感情体験はまた、次の生に持ち越すことがあるくらいなので、子供のころのこうした体験が父と母に強い影響を与えるのは、考えてみれば無理もないことだとようやく気がついたのでした。

私は311以来、もし原発の事故などで早急にどこかへ避難しなければならない状況になったときにはどうしよう、できれば母も父も置いて行きたくない、とずっと思っていました。

でも、今までの経験から、頑なな両親がついて来てくれそうもないということもまた、分かっていました。
でも今、母の言葉を聞いて、ようやくその責任感から少し解放されたような気がしました。

無理に、救わなくてもいいのかもしれない。

いざという時は、連れていけなくてもいいのかもしれない。
 

私は、初めてそう思うことができたのです。


だって、逃げたところで、その先どうなるか分からない。
万一逃げられたとしても、慣れない避難所暮らしで衰弱し、命を落とすお年寄りもいる。

避難所どころか、関東大震災級の地震が来たらおそらく首都機能も壊滅してしまうので、逃げた先でなんの支援も受けられないかもしれない。そんな時、若い人、体力のある人ならあるいは生きのびられるかもしれないけど、抵抗力のないお年寄りには、キツすぎるかもしれない。

幸いにも他の土地で生きのびられたとしても、またそこで新たな災害に出遭って、結局は死んでしまうかもしれない。それなら、長年住み慣れた思い出のある我が家で死ぬほうが、よほど幸せかもしれない。

これを読んでいる皆さんも、いざ震災が襲って来たら、家庭や学校・職場などにおいて、それぞれにドラマが発生するはずです。やむなく愛する家族やペット、身体の不自由な人や入院している人など、その他災害弱者をおいていかなければならない人も出てくることでしょう。

そんな時、連れていけなかったとしても自分を責めないであげてくださいね、と言ってあげたい。

人間には「動物脳」といって、脳のもっとも深い部分に生存本能を司る部分があるそうです。
危機的な状況の時には、その本能に従って生きる権利は、どんな人にも与えられているはずではないでしょうか。

せっかく逃げのびても、その後ずっと自分を責め続けて生きるのなら、生きのびた意味がない。
だから、逃げた人も、逃げない人も、お互い恨みっこなしでいきたいものです。


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折しも公園では、桜の花びらが雪のように真っ白に地面に降り積もって、女の子が嬉しそうに地面から花びらをすくい上げていました。

桜がわたしの上にも降り注いでくるので、その花びらを一枚手にとって眺めてみました。

HI3A0014.jpg

日本人は、なぜこれほど桜の花を愛するのだろう。

・・・もしかして、外見が美しいからだけではなく、「散りぎわの美しさ・潔さ(いさぎよさ)」をも愛しているからなのではないのだろうか?


時期が来たら、いさぎよく散っていくほうが美しいのかもしれない。

必死にもがいて生き伸びようとするより、美しいのかもしれない。 

わたしは母の生きざまを思いながら、そんなことを考えていたのでした。



聖書には、「すべてのことには定まった時がある」と言っている箇所があります。


天の下では、何事にも定まった時期があり、

すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。・・・・・・

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。


神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。

しかし、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見極めることができない。

私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか、何も良いことがないのを。

また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦のなかに幸せを見いだすこともまた、

神の賜物(たまもの)であることを。


私は知った、神のなさることはみな永遠に変わらないことを。

それに何かをつけ加えることも、それから、何かを取り去ることもできない。

神がこのことをされたのだ。人は、神を恐れなければならない。


今あることは、すでにあったこと。

これからあることも、すでにあったこと。

神は、すでに追い求められたことを、これからも捜し求められる。


                                         (伝道者の書3-1~15)


 
死ぬ時には死んでも、いいのかもしれない。・・・死んでも、大丈夫なのかもしれない。

・・・それが神の摂理なら。


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もし、こんど首都圏に大地震が来たら、相当厳しい状況になるはずです。
せっかく地震を生き伸びれたとしても、その後の火事や、大津波で命を落とすかもしれない。

マグニチュードが9にでもなれば、富士山だって噴火すると聞きますし、原発だって無事ではいられないでしょう。今まで人類が経験したことのない未曾有の「複合災害」になって、首都圏も壊滅してしまうかもしれないのです。

昨日の夕方、NHKの「MEGAQUAQE」という番組で、富士山が噴火したらどうなるかのシュミレーションをやっていました。
噴火には2つのタイプがあって、溶岩の場合は900度もある溶岩流が、斜面を流れ落ちる。
南側に流れ落ちた場合にもっとも被害が大きくなり、東名高速や東海道新幹線など、東西の大動脈が寸断される恐れがあるそうです。

噴煙を上げるタイプだと、真っ黒い火山灰が風にのって数時間後には神奈川や東京にも達し、道路や電車、空港などの交通網はすべて遮断されてしまう。そんなとき、もし放射能が襲って来たら・・・?

そんな時、首都圏を脱出するか家に帰って立てこもるか・・・決断を迫られるでしょう。
いずれにしても、ぐずぐずしている暇など、あまりないはずです。

・・・だから、災害の時は「てんでんこ。」

東北の方のある地域では、「津波てんでんこ」と言って、津波が来たら各自が生き延びるために、てんでんこ(それぞれ)で逃げる、ということを小学生の子供たちにも授業でしっかりと教えるのだそうです。

地震が来てから親が子供たちを迎えに来ていたら、そのせいで逃げ遅れるかもしれない。
子供たちが自分で逃げてくれると分かっていれば、親も安心して逃げて、逃げた先でまた親子で再会することができる。各自で逃げたほうが、お互いの救われる確率は高くなる。

だから、今度は地震がきたら、「地震てんでんこ 」。
何が襲ってきても、災害の時は「てんでんこ」だと、日本の人には言ってあげたいのです。


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