天と地を結ぶ「心御柱(しんのみはしら)」



2014.02.06
古事記のところにまだ書き足りないことが残っていたので、その続きです。
今回、古事記のことを書くにあたって「民族宗教における柱の信仰と儀礼」という国学院大学の教授の資料を引用させていただいたのですが、この資料がとても感銘深く、そして今まで調べてきたことと一致するような内容も見受けられて興味深かったので、一部だけまた引用させていただきたいと思います。
この「柱」という概念が、古代世界のあちこちでいかに重要視(あるいは神聖視)されてきたのか、といった事柄が主なポイントです。
下に引用したのは、その重要な「柱」の象徴である心御柱(しんのみはしら)が、今も伊勢神宮の本殿の下で密かに祭られている、というお話です。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。(以下引用)
・・・・・・縄文時代を代表する三内(さんない)丸山遺跡では、6本の巨大な柱を立てて西方のはるか彼方の山に沈む太陽を拝し、さらに柱を天と地を結ぶ架け橋としたことが推測されている。また日本では古来神格の名数として柱が用いられている。

青森・三内丸山遺跡
青森市郊外の三内(さんない)丸山遺跡は1992年に広範囲の発掘調査がおこなわれ、長期にわたる大規模なムラの存在が確認されました。
なかでも注目を浴びたのは直径約1mもある6本の大型掘立柱の遺構です。これについては物見櫓(やぐら)説、神殿説などがありますが、暦研究からすると天測説が興味をひきます。
小林達雄氏によると、3本ずつ向き合う柱は南側が冬至の日没方向、北側が夏至の日昇方向を指し示しているといいます。また太陽がもっとも高くのぼる南中(真昼)のとき、木柱の影は真北に落ちますが、それが北側の柱間の真ん中にくるよう設定されていたと推測しています。 ( こよみの学校より引用 )
このハシラの語義に関しては「ハシ」は屋根と地のハシ(間)にある物の意、ラは助辞(『古事記伝』『雅言考』『大言海』)。
ハシラ(間等)の義(『言元梯』)。ハは永久の義、シラはシルシ(標)の義(『古史通』)とされている。
これを宗教的に敷衍すると、ハシラは上と下の間にあって両者を永久に結びつける標と考えることが出来る。
なお日本の民俗宗教では、柱は神霊の「依り代」とされており、このことが神格の名数を柱とする根拠となっているのである。

・・・・・・なお『大和葛城宝山記(やまとかつらぎほうざんき)』では、上記の冒頭の天地開闢(かいびゃく)の記述の他に「水大の元始」の項で、高天の海原に生じた葦牙(あしかび)のような霊物から神聖(かみ)が化生し、天神、大梵天王(だいぼんてんのう)、尸棄大梵天王と名づけられた。
この霊物は天帝の御代には天の瓊矛(あまのぬぼこ)、金剛宝杵(こんごうほうしょ) 、と呼ばれ、神人の財とされた。
地神の御代には天の(あめ)の御量柱(みはかりばしら)、国の御量柱とされ、日本の国の中央に立てて、常住慈悲心王の柱、正覚正智の宝として心の御柱(しんのみはしら)と名づけられた。
なお 天地人民、東西南北、日月星辰、山川草木のすべては天の瓊矛の応変 ゆえ、不二平等である。そして葛城山の守護神の発起王が「心柱の三昧耶形(さんまやぎょう)は独鈷(とくこ)、すなわち金剛宝杵で独一法身の智剣である。
(☆三昧耶形とは、密教に於いて、仏を表す象徴物の事。)
(☆独鈷(とくこ)とは、密教で用いる仏具の一で、種々の金属・象牙などを主材料とし、中央に握り部分があり、両端がとがっている杵形(きねがた)の仏具。)
・・・・・・また「大八州、国の神の座処」の項では、この間のことを日の御子の伊弉諾尊(イザナギ)と月の御子の伊弉冉尊(イザナミ)が皇天の詔(みことのり)に従って天の瓊矛を山跡やまと(大和)の中央に立てて、国家の心柱として八尋殿(やひろでん)を造った。
さらに2神は真経津鏡ますみのかがみ(八咫鏡)を捧持して、日神、月神と化生して天下を治めたとしている。
そしてここで国家の心柱としているものは具体的には、伊勢神宮の内宮・外宮の本殿下にある心御柱(しんのみはしら)をさすとしている。
(以上引用。ふり仮名はところどころ筆者による)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
つまり、伊勢神宮をお祀りするということは、日本の国家だけでなく、世界とその中のすべてのものを支えている、、重要な「柱神」をお祀りすることにも通じると考えられるのではないでしょうか。

(上の図はこちらより)
伊勢神宮と同じく「心御柱」と呼ばれる巨大な柱があった古代の出雲大社は48メートルもあり、今の15階建てのビルに匹敵する非常に高い木造建築物だったという。(こちら より引用 )
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今回、古事記のことを書くにあたって「民族宗教における柱の信仰と儀礼」という国学院大学の教授の資料を引用させていただいたのですが、この資料がとても感銘深く、そして今まで調べてきたことと一致するような内容も見受けられて興味深かったので、一部だけまた引用させていただきたいと思います。
この「柱」という概念が、古代世界のあちこちでいかに重要視(あるいは神聖視)されてきたのか、といった事柄が主なポイントです。
下に引用したのは、その重要な「柱」の象徴である心御柱(しんのみはしら)が、今も伊勢神宮の本殿の下で密かに祭られている、というお話です。
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。(以下引用)
・・・・・・縄文時代を代表する三内(さんない)丸山遺跡では、6本の巨大な柱を立てて西方のはるか彼方の山に沈む太陽を拝し、さらに柱を天と地を結ぶ架け橋としたことが推測されている。また日本では古来神格の名数として柱が用いられている。

青森・三内丸山遺跡
青森市郊外の三内(さんない)丸山遺跡は1992年に広範囲の発掘調査がおこなわれ、長期にわたる大規模なムラの存在が確認されました。
なかでも注目を浴びたのは直径約1mもある6本の大型掘立柱の遺構です。これについては物見櫓(やぐら)説、神殿説などがありますが、暦研究からすると天測説が興味をひきます。
小林達雄氏によると、3本ずつ向き合う柱は南側が冬至の日没方向、北側が夏至の日昇方向を指し示しているといいます。また太陽がもっとも高くのぼる南中(真昼)のとき、木柱の影は真北に落ちますが、それが北側の柱間の真ん中にくるよう設定されていたと推測しています。 ( こよみの学校より引用 )
このハシラの語義に関しては「ハシ」は屋根と地のハシ(間)にある物の意、ラは助辞(『古事記伝』『雅言考』『大言海』)。
ハシラ(間等)の義(『言元梯』)。ハは永久の義、シラはシルシ(標)の義(『古史通』)とされている。
これを宗教的に敷衍すると、ハシラは上と下の間にあって両者を永久に結びつける標と考えることが出来る。
なお日本の民俗宗教では、柱は神霊の「依り代」とされており、このことが神格の名数を柱とする根拠となっているのである。

・・・・・・なお『大和葛城宝山記(やまとかつらぎほうざんき)』では、上記の冒頭の天地開闢(かいびゃく)の記述の他に「水大の元始」の項で、高天の海原に生じた葦牙(あしかび)のような霊物から神聖(かみ)が化生し、天神、大梵天王(だいぼんてんのう)、尸棄大梵天王と名づけられた。
この霊物は天帝の御代には天の瓊矛(あまのぬぼこ)、金剛宝杵(こんごうほうしょ) 、と呼ばれ、神人の財とされた。
地神の御代には天の(あめ)の御量柱(みはかりばしら)、国の御量柱とされ、日本の国の中央に立てて、常住慈悲心王の柱、正覚正智の宝として心の御柱(しんのみはしら)と名づけられた。
なお 天地人民、東西南北、日月星辰、山川草木のすべては天の瓊矛の応変 ゆえ、不二平等である。そして葛城山の守護神の発起王が「心柱の三昧耶形(さんまやぎょう)は独鈷(とくこ)、すなわち金剛宝杵で独一法身の智剣である。
(☆三昧耶形とは、密教に於いて、仏を表す象徴物の事。)
(☆独鈷(とくこ)とは、密教で用いる仏具の一で、種々の金属・象牙などを主材料とし、中央に握り部分があり、両端がとがっている杵形(きねがた)の仏具。)
・・・・・・また「大八州、国の神の座処」の項では、この間のことを日の御子の伊弉諾尊(イザナギ)と月の御子の伊弉冉尊(イザナミ)が皇天の詔(みことのり)に従って天の瓊矛を山跡やまと(大和)の中央に立てて、国家の心柱として八尋殿(やひろでん)を造った。
さらに2神は真経津鏡ますみのかがみ(八咫鏡)を捧持して、日神、月神と化生して天下を治めたとしている。
そしてここで国家の心柱としているものは具体的には、伊勢神宮の内宮・外宮の本殿下にある心御柱(しんのみはしら)をさすとしている。
(以上引用。ふり仮名はところどころ筆者による)
。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。
つまり、伊勢神宮をお祀りするということは、日本の国家だけでなく、世界とその中のすべてのものを支えている、、重要な「柱神」をお祀りすることにも通じると考えられるのではないでしょうか。

(上の図はこちらより)
伊勢神宮と同じく「心御柱」と呼ばれる巨大な柱があった古代の出雲大社は48メートルもあり、今の15階建てのビルに匹敵する非常に高い木造建築物だったという。(こちら より引用 )
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