古代のことがらを学ぶことによって、現代の指針とすることができるのではないかと思っています。

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2014 03 00:00:00

邪馬台国の謎・・・奈良県の纏向(まきむく)遺跡

先週の火曜日、6月24日の松原照子さんのブログ後半に、こんなことが書いてありました。

私の名前は照子
父が天照大神を私のために祀り、一字をいただいて付けてくれました。

今日はこの名前からか、神武天皇への思慕が募ります。
「日向」この名前も心にしみます。
今何気なく書いた地名ですが、遠いえにしをかけて私はあり 今日何気にこのことを書いています。

2~3世紀に存在した 邪馬台国。
「奈良の桜井に答がある」と理由なく書きたくなってしまいました


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さいごにあった「奈良の桜井」という言葉を聞いて、奈良県・桜井市の「纏向(まきむく)遺跡」のことについて思いだしたので、そのことについて書いてみようと思います。

昨年の12月、「世界・不思議発見!」で放送された番組の内容が面白かったので録画しておいたのですが、その内容を見て自分なりに興味のあるところをまとめてみました。

纏向(まきむく)遺跡について調べてみると、この周辺には多くの遺跡や古墳があり、また全国各地の土器が発掘されるなど、このあたり一帯が大きな文化圏だったようで、邪馬台国の有力な候補地として以前から注目されているのだそうです。

また、3世紀のはじめこの遺跡ができたころには、炊飯器の形は地方によって全部違っていたのだそうですが、この遺跡からは日本中のいろいろな形の炊飯器がみつかるのだとか。
そのことから、この辺りは今の東京のような政治・経済の中心地であったと考えられるといいます。

詳しくはこちら・・・纒向遺跡(まきむくいせき)(桜井市纏向学研究センターより)

         0706-17.jpg
          纏向遺跡のイメージ図


ここ纏向遺跡では2009年の発掘調査によって、3世紀前半としては国内最大の建物(南北19・2メートル、東西12・4メートル)を含む、少なくとも3つの建物跡がみつかっているようです。

また、この遺跡では、伊勢神宮の造りと同じ「棟持柱(むなもちばしら)」のある建物がみつかり、かつ、出雲大社と同じように壁の中央が柱になっている建物の両方がみつかったといいます。


           巻向遺跡

上の絵は建物跡から復元された模型のようですが、以下に伊勢神宮と出雲大社の造りについて簡単にまとめると、

出雲大社(本殿)

①ご祭神・・・大国主の大神(おおくにぬしのおおかみ)のための建物。住まい。
②造り・・・最も古い神社建築様式のひとつで、大社(たいしゃ)造りと言われ、特徴はてっぺんに勇ましくそそり立つ千木(ちぎ)である。屋根を取って建物の中を上から見ると、ほぼ正方形の古典的な日本家屋に近い「田の字」形であり、9本の柱で支えられている。

③特徴・・・正面の壁の中央に柱があるため、中央に入り口を造ることができない。そこで、向かって右側に入り口をつけてある。
             izumo20taisha-80.gif

izumo01_2016011210065449c.jpg
                           出雲大社
                

この、壁の正面が柱になっているところが、纏向遺跡でみつかった大型の建物跡と似ているそうです。 
なお、初めて気づいたのですが、伊勢神宮と同じように出雲大社にも中央に心御柱(しんのみはしら)があるのですね・・・。          


②伊勢神宮

①ご祭神・・・太陽を神格化した天照大御神(あまてらすおおみかみ)を祀る皇大神宮(内宮)、と、衣食住の守り神である豊受大御神を(とようけのおおみかみ)祀る豊受大神宮(外宮)の二つがある。

②造り・・・伊勢神宮は日本最古の建築様式である「唯一神明造り(ゆいいつしんみょうづくり)」で造られている。
奥行きより幅が広い長方形の建物で、高床式倉庫(たかゆかしきそうこ)から発展し穀物の代わりに神宝を納めるように変化したものと考えられる。

③特徴・・・側面中央の、壁面より外側に飛び出し棟へ達する柱を棟持柱(むなもちばしら)と呼ぶ。棟持柱は通常太く、強度のある用材が用いられるが、構造上では強度にはあまり寄与しない。

社殿の中央には心の御柱(しんのみはしら)が配されるが、これも強度には寄与しない。



isejinnguu.jpg


出雲大社にしても伊勢神宮にしても、その構造を知ると中心にすえた「心御柱(しんのみはしら)」を祀るために立てられた建物であるかのような印象を受けるのですが、調べてみるとやはりその真意は謎めいていて、興味を惹かれます。


しんのみはしら【心御柱】
 (http://kotobank.jp/word/%E5%BF%83%E5%BE%A1%E6%9F%B1より)

伊勢両宮の神殿の床下中央に建てられた檜(ひのき)の掘立柱(ほったてばしら)をいう。

「正殿心柱」(皇太神宮儀式帳)といい,つまり社殿の中心に立つゆえの名(《古事記伝》)だが,別に社殿の実用的な支柱でなく,しかも神宮祭祀上きわめて清浄神秘を重んじられる柱として特に忌柱(いむはしら)とも称される。

20年ごとの式年遷宮に当たって,特別にその用材を伐採するための木本祭と,これを建てる心御柱祭とがいずれも夜間の秘儀として執行され,奉仕者も禰宜(ねぎ),大物忌(おおものいみ)など特定の神職に限られる。



              伊勢神宮 正殿
              伊勢神宮:「内宮正殿」
            (通常、正殿:神殿内部は写真を撮ったり、見ることはできないそうです。)


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ところで日本書紀によると、初めは大王の宮殿の中で天照大神を祭っていたが、天照大神は霊威(れいい)が強く、不幸現象(どういうことかは不明)が起きたので、

庭に宮殿を別に建てて、そこに天照大神の御魂代(みたましろ)を移した
と書いてある。

でも、それでも近すぎるので今度は伊勢に移したという話が書かれているのだそうです。

纏向遺跡で発見された建物跡から模型を復元した神戸大学の黒田龍二教授によると、今回の発見は②の「天照大神の宮殿は大王(だいおう)と同じ庭の中にあった」と書かれている日本書紀の記述と一致すると考えられるのだそうです。


(出雲大社型の建物が大王の宮殿で、棟持柱の建物が天照大神用の宮殿と考えられるということ)

☆大王・・・ 纒向遺跡は、初期ヤマト政権の首都と考えられている遺跡。
        大王とはその政権トップ(天皇)のことだそうです。


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