古代のことがらを学ぶことによって、現代の指針とすることができるのではないかと思っています。

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2014 08 00:00:00

纏向遺跡(まきむくいせき) つづき

ところで、前記事の

日本書紀によると、「初めは大王の宮殿の中で天照大神を祭っていたが、天照大神は霊威(れいい)が強く、不幸現象(どういうことかは不明)が起きたので、庭に天照大神用の宮殿を別に建ててそこに移した」と書いてあるそうです。

と書きましたが、その「不幸現象」とは何のことか気になったので調べてみると、日本書紀に書かれた大王とはどうやら第10代の崇神(すじん)天皇(187年頃ー230年頃)であるらしく、以下に引用してみると・・・


Wikipedia「崇神天皇(すじんてんのう)」より
             Emperor_Sujin_20140707133044475.jpg

年代は『日本書紀』の編年に従って便宜を図った。

開化天皇10年に産まれ、28年1月5日に立太子、60年4月9日の開化天皇崩御に伴い翌年即位。

崇神(すじん)天皇3年9月、三輪山西麓の瑞籬宮(みずかきのみや)に遷都。(せんと=都を移すこと)

       m-map_201407081529599e5.jpg
        纏向遺跡周辺地図 ( 橙色の線の内側がその範囲で、東側は三輪山 ) 

( 纒向(まきむく)遺跡で見つかった大型建物跡の一帯は、河川と人工水路で3方を囲まれていた可能性があることが桜井市教委などの分析で分かっており、“水の宮殿”を想起させる構造で、崇神天皇の宮殿である「瑞籬宮(みずかきのみや)」とイメージが一致するという。 )


崇神天皇5年、疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた

崇神天皇6年、疫病を鎮めるべく、従来宮中に祀られていた天照大神倭大国魂神(大和大国魂神)を皇居の外に移した


天照大神(あまてらすおおみかみ)を豊鍬入姫命((とよすきいりびめのみこと)に託し、笠縫邑(かさぬいむら=現在の檜原神社)に祀らせ、その後各地を移動したが、垂仁(すいにん)天皇25年に現在の伊勢神宮内宮に御鎮座した。  

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これによると、「不幸現象」とはどうやら崇仁天皇の治世に「疫病が流行り、多くの人民が死に絶えた」ことを言っているようです。

また、宮中に祀られていたのは天照大神だけではなく、倭大国魂神(大和大国魂神)という神もおられたようで、これもついでに調べてみました。→倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)
より

倭大国魂神(やまとのおおくにたまのかみ)は、日本神話に登場する神である。日本大国魂神とも表記する。
大和神社(奈良県天理市)の祭神である。『日本書紀』の崇神天皇6年の条に登場する。

宮中に天照大神と倭大国魂の二神を祭っていたが天皇は二神の神威の強さを畏れ、宮の外で祀ることにした。 
天照大神は豊鍬入姫命に託して大和の笠縫邑に祭った。


倭大国魂は渟名城入姫命(ぬなきいりびめのみこと)に預けて祭らせたが、髪が落ち、体が痩せて祀ることができなかった。
その後、大物主神(おおものぬしのかみ)を祭ることになる件が書かれている。

同年8月7日、臣下の夢の中に大物主神が現れ、「大田田根子命(おおたたねこ)を大物主神を祀る祭主とし、市磯長尾市(いちしのながおち)を倭大国魂神を祀る祭主とすれば、天下は平らぐ」と言った。 

同年11月13日、大田田根子を大物主神を祀る祭主に、長尾市を大国魂神を祀る祭主にした。


(参考)
大物主神(おおものぬしのかみ)・・・ 大物主は蛇神であり水神または雷神としての性格を持ち、稲作豊穣、疫病除け、酒造り(醸造)などの神として篤い信仰を集めている。また国の守護神である一方で、祟りなす強力な神ともされている。なお、大国主の分霊であるため大黒天として祀られることも多い。

大国主神(おおくにぬしのかみ)と大物主神

『古事記』によれば、大国主神とともに国造りを行っていた少彦名神が常世の国へ去り、大国主神がこれからどうやってこの国を造って行けば良いのかと思い悩んでいた時に、海の向こうから光り輝く神様が現れて、大和国の三輪山に自分を祭るよう希望した。
大国主神が「どなたですか?」と聞くと「我は汝の幸魂(さきみたま)奇魂(くしみたま)なり」と答えたという。

『日本書紀』の一書では大国主神の別名としており、大神(おおみわ)神社の由緒では、大国主神が自らの和魂を大物主神として祀ったとある。


                       image01-1_201407082241016ac.jpg

☆大国主神は現在も出雲大社で祀られている神であり、因幡の白兎(いなばのしろうさぎ)の話などで有名。

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この時代の話でいいなあと思うところは、神の「霊威」を畏れたり、また臣下が見た夢の「お告げ」によって祭主を決めたりと、日本人の中に神を敬う謙虚な気持ちがまだ残っていたことです。

そのため、神のご意向を伺うことのできる巫女のような存在の役割もまた大きかったのではないでしょうか。

この時代は、中国の「魏志倭人伝」に書かれた邪馬台国の女王「卑弥呼(ひみこ)」の時代とも重なるため、発見された建物が「卑弥呼の宮殿なのではないか」という説もあるそうで、これからの発掘・調査の結果が楽しみです。





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