スカラベはなぜ「再生や復活」の象徴なのか?その2



2014.10.18
古代エジプト人がなぜスカラベを太陽神の象徴と考えたのか調べてみたのですが、古代エジプト文明時代の学者が残したという記述「スカラベ・サクレ」が興味深かったので以下に一部引用させていただきました。
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”スカラベは東から西へ、世界が動く方向へ玉を転がした後、土中にその玉を埋め、そこに二十八日間隠れ住む。二十八日は月の公転の時間であり、そのあいだにスカラベの子は生命を得て、動き始めるのである。
二十九日目、つまり月と太陽が出会い、また世界が新しく生まれ変わる日に、スカラベは埋めた玉に穴をあけて水中に投げる。この中から、生き物があらわれる。それが新しいスカラベである”
古代エジプト文明時代、ホルス・アポロという学者が書き残したものである。

この虫が忙しそうに玉(糞の玉)を転がしていくのを見て、東から西に一日かかって太陽を運ぶ太陽神の化身と考えたエジプト人は、この虫を崇拝し、スカラベ・サクレ(神聖な甲虫)と呼んだのである。
また、この虫が玉と一緒に土中に入り、地上から姿を消し、また別の季節に姿をあらわすのをみたエジプト人は死んでも再び生き返る力を持つ昆虫と考えていたようである。
私は文献を読み進むにつれ、ホルス・アポロの書き残した一見予言者じみた奇妙とも思える文面が、いかに、科学的であり、また、いかにスカラベを事細かく観察していたのかと驚かされました。・・・・・・
・・・・・・古代エジブト文明は太陰暦から初めて太陽暦を用いた文明です。これは、ナイル川の大洪水が毎年ほとんど決まった時期におこることから、1年の周期の予知が何より大切であり、より正確な周期予知の出来る太陽暦をあみだしたのです。
自然暦が月から太陽へ移ることにより、初めて季節を意識した文明と言えます。ホルス神、ハトホル神、アヌピス神らが地方神として祭られていた時代、エジプト人は太陽神ラーを全宇宙の創造神として信仰し、太陽の運行や樹木の繁殖から、生命の不死・復活を信じていたそうです。
そのため死体をミイラにして保存したり、来世の生活のため、王や貴族は立派な墳墓をつくりました。そういったシチュエーションの中で、死んでも復活すると信じられていたスカラベは、恰好のステータス的存在だったのではないでしょうか。
前記しましたが、そんな時代にホルス・アポロが残した言葉です。
(以上引用)
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ところで私は冒頭のアポロの言葉を見て、はっとしたのです。
「スカラベは東から西へ、世界が動く方向へ玉を転がした後、・・・と確かにそう書いてあると。
私がはっとしたわけは、以前私が書いた記事「神々の生まれたところ」を読んだ方は分かるかもしれませんが・・・。
古代エジプト人が「東から西は、世界が動く方向だ」と考えていたとすると、ここで言われている「世界」とは、一体何のことでしょう?・・・・・・もしも単純に太陽が東から西へと沈んでくことを指しているなら、ここで「世界」とは言わず、「太陽」といえばいいのではないでしょうか。
古代エジプト人にとっての「世界」とは、彼らにとって欠くことのできない絶対的存在であった太陽神を含めた世界のことではないでしょうか?・・・つまり、太陽と地球のある世界=太陽系のことを指しているのかもしれないと思いました。

天の川が大空に南北にかかるとき、天球は「東」側と「西」側に分かたれる。
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”スカラベは東から西へ、世界が動く方向へ玉を転がした後、土中にその玉を埋め、そこに二十八日間隠れ住む。二十八日は月の公転の時間であり、そのあいだにスカラベの子は生命を得て、動き始めるのである。
二十九日目、つまり月と太陽が出会い、また世界が新しく生まれ変わる日に、スカラベは埋めた玉に穴をあけて水中に投げる。この中から、生き物があらわれる。それが新しいスカラベである”
古代エジプト文明時代、ホルス・アポロという学者が書き残したものである。

この虫が忙しそうに玉(糞の玉)を転がしていくのを見て、東から西に一日かかって太陽を運ぶ太陽神の化身と考えたエジプト人は、この虫を崇拝し、スカラベ・サクレ(神聖な甲虫)と呼んだのである。
また、この虫が玉と一緒に土中に入り、地上から姿を消し、また別の季節に姿をあらわすのをみたエジプト人は死んでも再び生き返る力を持つ昆虫と考えていたようである。
私は文献を読み進むにつれ、ホルス・アポロの書き残した一見予言者じみた奇妙とも思える文面が、いかに、科学的であり、また、いかにスカラベを事細かく観察していたのかと驚かされました。・・・・・・
・・・・・・古代エジブト文明は太陰暦から初めて太陽暦を用いた文明です。これは、ナイル川の大洪水が毎年ほとんど決まった時期におこることから、1年の周期の予知が何より大切であり、より正確な周期予知の出来る太陽暦をあみだしたのです。
自然暦が月から太陽へ移ることにより、初めて季節を意識した文明と言えます。ホルス神、ハトホル神、アヌピス神らが地方神として祭られていた時代、エジプト人は太陽神ラーを全宇宙の創造神として信仰し、太陽の運行や樹木の繁殖から、生命の不死・復活を信じていたそうです。
そのため死体をミイラにして保存したり、来世の生活のため、王や貴族は立派な墳墓をつくりました。そういったシチュエーションの中で、死んでも復活すると信じられていたスカラベは、恰好のステータス的存在だったのではないでしょうか。
前記しましたが、そんな時代にホルス・アポロが残した言葉です。
(以上引用)
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ところで私は冒頭のアポロの言葉を見て、はっとしたのです。
「スカラベは東から西へ、世界が動く方向へ玉を転がした後、・・・と確かにそう書いてあると。
私がはっとしたわけは、以前私が書いた記事「神々の生まれたところ」を読んだ方は分かるかもしれませんが・・・。
古代エジプト人が「東から西は、世界が動く方向だ」と考えていたとすると、ここで言われている「世界」とは、一体何のことでしょう?・・・・・・もしも単純に太陽が東から西へと沈んでくことを指しているなら、ここで「世界」とは言わず、「太陽」といえばいいのではないでしょうか。
古代エジプト人にとっての「世界」とは、彼らにとって欠くことのできない絶対的存在であった太陽神を含めた世界のことではないでしょうか?・・・つまり、太陽と地球のある世界=太陽系のことを指しているのかもしれないと思いました。

天の川が大空に南北にかかるとき、天球は「東」側と「西」側に分かたれる。
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