古代のことがらを学ぶことによって、現代の指針とすることができるのではないかと思っています。

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今朝、「あさイチ」というテレビ番組で初めて知ったのですが、四国の高知県には、けっこう広い範囲に巨石文明の跡が残っているのですね。

番組では土佐清水市で、春分の日と秋分の日の前後にだけ見られる、不思議な現象について特集していました。

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ここでは年に2回、春分・秋分の日の前後にだけ、西に傾いた太陽の光が約80mの洞窟の反対側まで通り抜けるのだそうです。
「トオルマの夕日」というそうですが、これは私に言わせると、明らかに巨石文明をもつ古代人のしわざですね・・・。

(http://www.city.tosashimizu.kochi.jp/topic/2008/080320d.htmlより)

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・・・なぜ、古代人はこんなに大きな岩をくりぬいてまで不思議な仕掛けを作ったのか、皆さんにはわかりますか?


なぜなら、そこには、「必要」が存在していたからです。


その「必要」とは・・・?


そう、ずっと前の記事でも触れましたが、太古の昔に「太陽の位置」が変化したからです。

古代人は、太陽の位置が変わることを、何よりも恐れていました。・・・現代の私たちが、恐れているものを常にチェックせずにはいられないのとちょうど同じように。

古代人も、太陽の位置が変わっていないかどうかを常に春分・秋分という特別な「時」を利用してチェックしていたのです。

なぜなら、太陽の位置が変わると、大地震や洪水が起こると分かっていたからです。

  (関連記事…古代の儀式、伝説にみられる大洪水の記憶


ほかにも、土佐清水市には色々な巨石が広い範囲に存在しているようです。

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これは、沖縄のパワースポットと言われる『斎場御嶽(セイファーウタキ)』にもちょっぴり似ていますね・・・。
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                     本物の「斎場御嶽」(セイファーウタキ)。

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この石なんか、セイファーウタキの三角の空間にすっぽりとはまりそうですね。でも、これがある場所は高知県ですから・・・沖縄とは、だいぶ離れています。

巨石文明の跡はエジプト、中南米など世界中にありますが、「春分・秋分・夏至・冬至」などの太陽の位置を正確に計っている仕掛けがあるところが多いです。

( 関連記事・・・「日本の聖地」



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先日、近くの公園に最期の桜を見に行きました。「最期」と書いたのは、もうそろそろ全部散ってしまうのではないかと思い、その前に一度見ておこうと思ったからです。

その日は強風で、公園に近づくにしたがって白い桜のはなびらが、びっくりするくらいたくさん私の上に降ってきました。もう夕暮時だったので人もまばらな中、満開だった桜が容赦なく花びらをもぎとられて飛ばされていく様を見るのは、壮絶でもあり、哀れでもあるような、そんな光景でした。

その花びらを見ながら心に思ったことがあったので、うまく書けるかどうかわかりませんが、やってみたいと思います。


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ここのところ、前記事にも書いたように相模湾周辺に大きな地震の来そうな気配があるので、実家の母にも念のため、災害対策をするようしきりに勧めていたときのことでした。

うちはまだ両親とも健在ですが、非常に気がかりなことには、二人共、およそ災害には無頓着なことです。

昨年の311の時に原発事故がおきた時でさえ、ここ(神奈川県)の放射能などまったく気にしないで暮らしていましたし、原発はおろか地震対策もロクにしないままここまで来てしまったという、ある意味災害強者(ツワモノ)です。そんな二人に私がうるさく言ってみても、いっこうに耳を貸してはくれません。

そこで、せめて両親の寝ている部屋だけでも家具が倒れないように耐震金具をつけて欲しいと説得を試みましたが、未だにつけてくれません。洋服ダンスが壁沿いにづらりと並んでいて、全部が両親の寝ている方向に倒れてくるのが分かっているにもかかわらず、です。
(洋服ダンスの上に耐震金具をつけるには、タンスの上に天井までびっしりと積み重ねられた物をまずどかさなければならないので、二人共これをやるのがおっくうなようです。)

見かねて私が手を出そうとすると、「あ~、やめてやめて!イライラするから」と拒否反応を示すので、勝手にわたしが片付けることさえできません。実家はあまりにも物が多いので、対策をするのにはどうしてもまず物の「処分」、あるいは「移動」が必要なのですが。

そんな母にほとほと閉口して、どうしてそんなに無頓着でいられるの?・・・と聞いたときのことでした。
母の口から出てきたのは、思いがけないことばでした。

「そうねえ、だって・・・私たちが子供のころには、空襲警報が鳴って、米軍機が来るからいっせいに防空壕に逃げるんだけど、逃げられれば運がいい、だけど逃げられなければ死ぬって、もう覚悟してたから。

・・・・・・そう、もう覚悟してたのよねえ・・・子供のころ。・・・逃げられなければ、死ぬって。」


(ちなみに母は昭和10年生まれで、千葉県出身です)

それを聞いた時、わたしは母のあまりのいさぎの良さにあっけに取られました。
母が私とはまったく別の種類の人間のように感じられたからです。

わたしは、「死」とは誰にとっても怖いもので、普通ならなんとか逃れたいと思うのが当たり前だと思っていました。
それなのに、それを覚悟していたなんて・・・・・・・?

戦争が始まったときには、母はまだ十歳かそこらのはずです。
(その後調べたところ、太平洋戦争は昭和16年に始まり3年8ヶ月続いたとあったので、母が6歳~10歳までだったとわかりました。)

空襲警報が鳴って、米軍機が来るからいっせいに防空壕に逃げる。。。。
当時はまだほんの子供だった母にとって、それはきっとよほど怖い状況、怖い体験であったに違いありません。
しかも、一度や二度ではなかったかも・・・。
私には、子供のころにそんな体験をさせられてしまった母がとても気の毒に思えました。

そこでようやく私は、今まで災害対策を訴えても、いっこうに母が関心を示さなかったわけが分かった気がしました。
母が災害への備えをしないのは、決して災害が来ないと思っているわけではなく、驚くべきことに「死」そのものへの覚悟が出来てしまっていたからだったんだということを。・・・それも、はるか昔の子供時代に。

それに比べ、災害の時、いかに助かろうかと汲々としていた自分が恥ずかしく思えました。
わたしには、母がとても強く悟った人間のように感じられました。
考えてみれば、世の中で死ぬことを恐れない人間ほど強い人間がほかにいるでしょうか・・・?

昨年の原発事故で、私が「放射能がここまでくるかもしれない」と言ったときも、そして今、「富士山が噴火するかもしれない」と言ってみても、「ああそう、それじゃあしょうがないわねえ」と言ったきり、一向に動じようとはしないのです。

そして、その次に私に訪れたのは、「物を溜め込まずにはいられない」、ということへの理解でした。強い感情体験は「トラウマ」といって、以後の人生に影響を与え続けるといいます。わたしは、母に聞いてみました。

もしかして、物がいっぱいないと、心配なの?」

「・・・そうねえ、物がいっぱいあると、安心ねえ。」 

・・・(やっぱり。)

 
私は、こんなにも長く関わってきたのに、母のことを本質的には全く理解していなかったような気がして、ちょっぴり恥ずかしくなりました。そして、これまで物の片付けを散々やかましく言ってきたことを、後悔しました。

恐らく、父も母も戦争の時に物が欠乏した強い不安体験があるのでしょう。強い感情体験はまた、次の生に持ち越すことがあるくらいなので、子供のころのこうした体験が父と母に強い影響を与えるのは、考えてみれば無理もないことだとようやく気がついたのでした。

私は311以来、もし原発の事故などで早急にどこかへ避難しなければならない状況になったときにはどうしよう、できれば母も父も置いて行きたくない、とずっと思っていました。

でも、今までの経験から、頑なな両親がついて来てくれそうもないということもまた、分かっていました。
でも今、母の言葉を聞いて、ようやくその責任感から少し解放されたような気がしました。

無理に、救わなくてもいいのかもしれない。

いざという時は、連れていけなくてもいいのかもしれない。
 

私は、初めてそう思うことができたのです。


だって、逃げたところで、その先どうなるか分からない。
万一逃げられたとしても、慣れない避難所暮らしで衰弱し、命を落とすお年寄りもいる。

避難所どころか、関東大震災級の地震が来たらおそらく首都機能も壊滅してしまうので、逃げた先でなんの支援も受けられないかもしれない。そんな時、若い人、体力のある人ならあるいは生きのびられるかもしれないけど、抵抗力のないお年寄りには、キツすぎるかもしれない。

幸いにも他の土地で生きのびられたとしても、またそこで新たな災害に出遭って、結局は死んでしまうかもしれない。それなら、長年住み慣れた思い出のある我が家で死ぬほうが、よほど幸せかもしれない。

これを読んでいる皆さんも、いざ震災が襲って来たら、家庭や学校・職場などにおいて、それぞれにドラマが発生するはずです。やむなく愛する家族やペット、身体の不自由な人や入院している人など、その他災害弱者をおいていかなければならない人も出てくることでしょう。

そんな時、連れていけなかったとしても自分を責めないであげてくださいね、と言ってあげたい。

人間には「動物脳」といって、脳のもっとも深い部分に生存本能を司る部分があるそうです。
危機的な状況の時には、その本能に従って生きる権利は、どんな人にも与えられているはずではないでしょうか。

せっかく逃げのびても、その後ずっと自分を責め続けて生きるのなら、生きのびた意味がない。
だから、逃げた人も、逃げない人も、お互い恨みっこなしでいきたいものです。


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折しも公園では、桜の花びらが雪のように真っ白に地面に降り積もって、女の子が嬉しそうに地面から花びらをすくい上げていました。

桜がわたしの上にも降り注いでくるので、その花びらを一枚手にとって眺めてみました。

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日本人は、なぜこれほど桜の花を愛するのだろう。

・・・もしかして、外見が美しいからだけではなく、「散りぎわの美しさ・潔さ(いさぎよさ)」をも愛しているからなのではないのだろうか?


時期が来たら、いさぎよく散っていくほうが美しいのかもしれない。

必死にもがいて生き伸びようとするより、美しいのかもしれない。 

わたしは母の生きざまを思いながら、そんなことを考えていたのでした。



聖書には、「すべてのことには定まった時がある」と言っている箇所があります。


天の下では、何事にも定まった時期があり、

すべての営みには時がある。

生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。・・・・・・

神のなさることは、すべて時にかなって美しい。


神はまた、人の心に永遠への思いを与えられた。

しかし、神が行われるみわざを、初めから終わりまで見極めることができない。

私は知った。人は生きている間に喜び楽しむほか、何も良いことがないのを。

また、人がみな、食べたり飲んだりし、すべての労苦のなかに幸せを見いだすこともまた、

神の賜物(たまもの)であることを。


私は知った、神のなさることはみな永遠に変わらないことを。

それに何かをつけ加えることも、それから、何かを取り去ることもできない。

神がこのことをされたのだ。人は、神を恐れなければならない。


今あることは、すでにあったこと。

これからあることも、すでにあったこと。

神は、すでに追い求められたことを、これからも捜し求められる。


                                         (伝道者の書3-1~15)


 
死ぬ時には死んでも、いいのかもしれない。・・・死んでも、大丈夫なのかもしれない。

・・・それが神の摂理なら。


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もし、こんど首都圏に大地震が来たら、相当厳しい状況になるはずです。
せっかく地震を生き伸びれたとしても、その後の火事や、大津波で命を落とすかもしれない。

マグニチュードが9にでもなれば、富士山だって噴火すると聞きますし、原発だって無事ではいられないでしょう。今まで人類が経験したことのない未曾有の「複合災害」になって、首都圏も壊滅してしまうかもしれないのです。

昨日の夕方、NHKの「MEGAQUAQE」という番組で、富士山が噴火したらどうなるかのシュミレーションをやっていました。
噴火には2つのタイプがあって、溶岩の場合は900度もある溶岩流が、斜面を流れ落ちる。
南側に流れ落ちた場合にもっとも被害が大きくなり、東名高速や東海道新幹線など、東西の大動脈が寸断される恐れがあるそうです。

噴煙を上げるタイプだと、真っ黒い火山灰が風にのって数時間後には神奈川や東京にも達し、道路や電車、空港などの交通網はすべて遮断されてしまう。そんなとき、もし放射能が襲って来たら・・・?

そんな時、首都圏を脱出するか家に帰って立てこもるか・・・決断を迫られるでしょう。
いずれにしても、ぐずぐずしている暇など、あまりないはずです。

・・・だから、災害の時は「てんでんこ。」

東北の方のある地域では、「津波てんでんこ」と言って、津波が来たら各自が生き延びるために、てんでんこ(それぞれ)で逃げる、ということを小学生の子供たちにも授業でしっかりと教えるのだそうです。

地震が来てから親が子供たちを迎えに来ていたら、そのせいで逃げ遅れるかもしれない。
子供たちが自分で逃げてくれると分かっていれば、親も安心して逃げて、逃げた先でまた親子で再会することができる。各自で逃げたほうが、お互いの救われる確率は高くなる。

だから、今度は地震がきたら、「地震てんでんこ 」。
何が襲ってきても、災害の時は「てんでんこ」だと、日本の人には言ってあげたいのです。


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だいぶ間が空いてしまい、申し訳ありませんでした。前々回の記事…「水瓶座の勝利 」のつづきです。


しし座、オリオン座、竜(りゅう)座、水瓶座

・・・だが、はるかに重要なことは、どちらの場所にも巨大な建造物があり、紀元前10500年の春分の夜明けの4つの特別な星座(しし座、オリオン座、竜座、水瓶座)をモデルとしているということだ。

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 紀元前10500年において、水瓶座は真西に沈み、獅子座は真東に昇り、オリオン座は真南の子午線上にあり、竜座は真北の子午線上にあった。

これらの星座のうち、2つは(獅子座とオリオン座)ギザでモデルとされ、3番目(竜座)はアンコールでモデルとされているが、これが偶然とは、まったく思えない。特に、ひとつひとつが異なる方向を向いているからだ。

このように非常に捉えがたい、弁解の余地のない陰謀の裏には、周到に練られた計画があったことは明白なようだ・・・・・・そしてその計画は「組織」によって細工されたのだ。そのような「組織」であれば、世界規模の大プロジェクトを完成するはずだ。

したがって、歴史のある時点で、地球上のどこかに、水瓶座――紀元前10500年の不思議な天界における第4の星座――を思い起こさせる神殿を建てるのではないだろうか?

世界共通のパターンに従うと、そのような神殿は、水瓶座を「思わせ」あるいは「似て」おり、西を向くはずだーーそう、アンコール寺院郡が北を向き、ギザのピラミッド郡が南大スフィンクスが東を向くように。

また、ギザとアンコールは経度にして72度離れている。歳差運動に関わる、重要な数だ。
(グラハム・ハンコック「天の鏡」より)

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・・・とこのようにハンコックは結んでいますが、世界のどこかにあるかもしれないこの水瓶座の遺跡を探すには、私たちにはもう時間があまり残されていないのかもしれません。

むしろ、まさに水瓶座の時代を迎えた我々が「今」どう生きるべきなのか、そしてはるか古代の人々が我々に送ってくれたメッセージから学べることは何なのか、ということの方がより大事なのではないでしょうか。

ところで、「水瓶座の勝利」の中に引用したように、ハンコックは、フェニックスについて『死が存在する前に生まれたもの』で、「万物の永遠の回帰と物質に対する魂の勝利を象徴した」と書いていますが、この部分、ハンコックが何を言わんとしているのか分かりづらいので、少々私なりの考察を加えてみたいと思います。

「万物の永遠の回帰」という部分ですが、「永遠」という言葉を抜かすと、「万物の回帰」となります。でも、もともと万物がどこから来たのかがわかっていなければ、どこへ回帰するのかもまた、分からないはずです。

私はこの文の中の、「死が存在する前から生まれたもの」という言葉で、思い出したことがありました。

それは、この世界が始まったとされる聖書の「エデンの園」で、アダムとイブが幸福に暮らしていた時には、「死」はまだ存在していなかったのだということを。

神が最初人間を創られた時には、人間は永遠に生きる存在でした。このときはまだ、神と人は非常に親しい関係にあったとされています。

ところがそんな楽園に「死」がはいったきっかけは、蛇が人間の女性であったイブを誘惑し、イブが神から禁じられていた木の実をとって食べたことから始まったと聖書には記されています。(その後、イブは夫のアダムにも与えたので、アダムもそれを食べてしまいました。)

その後、神はアダムとイブにそれぞれ、神のいいつけに背いた報いを宣告します。

・・・・・・また、(神は)アダムに仰せられた。「あなたが、妻の声に聞きしたがい、食べてはならないとわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。

土地は、あなたのために、いばらとあざみを生えさせ、あなたは、野の草を食べなければならない。あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。あなたはそこからとられたのだから。あなたはちりだから、ちりに帰らなければならない。 
 (創世記3―17~19)

この、「ちりに帰る」という言葉が、人間としてのアダムの肉体の「死」に相当すると考えられます。

つまり、万物が「帰る」地点とは、このアダムとイブが幸福に暮らしていたところ、すなわち、「罪と死がまだこの世界に入らず、神と人とが共に歩んでいた地点」ということになるのだろうと思えるのです。



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少し横道に逸れましたが、アンコール遺跡の話から始まって、これまでガルーダ・八咫烏・朱雀・鳳凰と水瓶座と関連のありそうな鳥を順番に見てきました。が、ここで話を元に戻すと、あのアンコール遺跡で「巨大な蛇」を踏みつけていたのは、「水瓶座」だということになります。(関連記事…世界のあちこちに見かける「鳥頭」の神


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ふ~む・・・なんだか分かってきたぞ。続いてアンコールでは「ナーガ蛇」と呼ばれているこの大蛇の正体を調べていくと、これもすぐに謎が解けました。

竜座の形を見てもう気づかれた方もいらっしゃるかもしれませんが、竜座は、龍だけでなく、かま首をもたげたコブラにもそっくりなのです。


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以下引用:
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仏教の経典には、伝説的なナーガ蛇王のひとり、タクシャカが竜のように「鼻から火炎を吐き出して破壊を行う」様子が書かれている。さらに、このような混同は天界でも見られ、特に竜座でいちじるしい。ギリシャ語で竜座は「ドラゴン」を意味する。

だが、古くからほとんど全ての文化で、竜座はある種の宇宙の蛇と考えられていた。たとえば古代の天文表のいくつかは竜座を「ニシキヘビ」または「」としている。

もっと一般的には「年老いた蛇」、ミネルヴァが巨人からひったくって空にほうり投げた蛇と言われ、ペルシアでは人食い蛇と言われてきた。・・・・

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アンコール・ワット遺跡には、コブラをかたどったモチーフが繰り返し使われており、というかナーガ蛇だらけで、まるで「蛇のために捧げられた宮殿」のように見えるのだそうです。
そして、以前に見たように、アンコールの主要な遺跡を結んだ形は、やはり巨大な「コブラ」のような形をしています。

そうすると、水瓶座の象徴であるガルーダが、竜座の象徴であるナーガ蛇を踏みつけて勝ち誇っているように見えるのは、現代の水瓶座の時代が、約13000年前から始まっているこれまでの時代に打ち勝つということを暗示しているのでしょうか?

ここで少し考えてしまいました。なんだかキリストの再来を予見しているような解釈にも思えたからです。
聖書の最後にあるヨハネの黙次録では、世の終わりにイエス・キリストが現れ、サタンに「勝利する」と書かれていますが、世の始めにエデンの園でイブを誘惑したのも、蛇の姿に化けたサタンであると言われています。

また、ヨハネの黙次録の20章にも、「悪魔でありサタンである龍、すなわち、かの年を経た蛇」を捉えて千年のあいだ繋ぎおく話が出てきます。サタンとナーガ蛇・・・なんだかイメージが似ていますね。


そこでもう一度関連のありそうな部分を探してみると、次のような関係があることがわかったのです。

紀元前10500年前(今から12500年前)には、竜座は一番高い位置にあり、その向かいにあるオリオン座は反対に一番下にありました。今はその逆で、竜座は一番低い位置にあり、オリオンは一番高い位置にあります。

おなじように12500年前、獅子座は地平線にありましたが、水瓶座は低く沈んでいました。が、今、水瓶座は高い位置にあります。

竜座との関係で見れば、それまで勝ち誇っていた竜座は低く沈みこみ、これまで沈んでいた水瓶座は高く上がってきています。単に、そういうことを指しているのでしょうか?・・・

ハンコックは「天の鏡」の中で、それについて以下のような解釈をほどこしています。

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モルトウッドはまた、鳥の王ガルーダをエジプト及びギリシアの神話に出てくるフェニックスと比較した。フェニックスと同じように、ガルーダも長い時間の周期に関係がある(産卵から500年で孵化すると言われている)。

さらに、フェニックスの最大の特徴は不死だが、ガルーダには、神々から不老不死の霊薬を盗んだという有名なインド神話がある。

また神話によると、エデンの園の生命の木のように、霊薬は人間の手の届かないような、非常に危険な場所に隠されていた。霊薬のまわりには火が燃えさかり、回転する剣ではないものの、「鋭い刃をもち、光を放ちながら、激しく回転する車輪」があった。

ガルーダは火を消し、回転する車輪を壊し、不老不死の霊薬がはいった貴重なゴブレットを持って飛び立った。この冒険により、ガルーダは、液体が満杯のカップを持っている図でよく描かれる。これは、現代の十二宮で「水を持つ人」である水瓶座との関係をさらに強力に裏付けてくれそうだ。

さらに、もし水瓶座がガルーダで、ガルーダがフェニックスならば、モルトウッドが指摘しているように、水瓶座はフェニックスをあらわした星座と考えるのも、それほど飛躍した話ではなくなる。

事実、イングランドの聖なる町グラストンベリーを囲む先史時代の遺構に残された巨大な十二宮図では、上空からでなければ分からないものの、フェニックスとして描かれているようだ。

古代エジプトの図像および象形文字では、フェニックスは「死が存在する前に生まれたもの」で、万物の永遠の回帰と物質に対する魂の勝利を象徴した。

今日のように、春分や秋分にフェニックスである水瓶座が昇るのを観察することは、力強い復活の象徴を天空に見ていることになる。

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今日2つ目の記事です。

前記事に出てきた「四神」については、古代中国から日本にも伝えられて来ており、奈良県の高松塚古墳やキトラ古墳などにも壁画として描かれているようです。

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平安神宮より)

調べてみると、 古代中国には「青龍、白虎、朱雀、玄武」を四神として信仰の対象とするだけでなく、「龍、亀、麒麟、鳳凰」を四霊とみなし信仰する思想があったとのことです。

そこで、ピンときたので早速星座とこれらの「四神、四霊」を比較検討してみたのです。

このうち龍は、おそらく竜座のことでしょう。


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朱雀および鳳凰も、今では水がめ座だと見当がついています。

麒麟と同義だと思える白虎(びゃっこ)は白い虎(トラ)なので、すぐに獅子座を連想します。



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      こちらは、キトラ古墳の「白虎」復元イメージ。

     キトラ古墳 白虎復元イメージ




そして、「玄武」は、亀と龍が合体したものとして描かれていますが、シンプルに「亀」として考えると。。。

「亀」は、オリオン座かも!


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こういう風に考えていくと、古代の「四神」・「四霊」と呼ばれる中国の4つの獣は、古代エジプトやカンボジアにおいて長期にわたる時間の周期を表すのに必要な4つの「星座」に起源をもつかもしれない、とも思えるのです。


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過去記事の「八咫烏(やたがらす)の起源を求めて」で、日本の八咫烏がもともと中国では「三足烏(さんぞくう)」として金烏(きんう)や金鶏(きんけい)などの金色の鳥、あるいは日烏や火烏(ひう)など、太陽の赤いイメージがつきまとう鳥であることを見てきました。 

が、ここですでに、 「朱雀」や「鳳凰」 (ほうおう)を思い浮かべた方もいたかもしれません。

「朱雀」(すざく)は中国の赤い鳥で、やはり方位と関係があり、南方を表す鳥であると言われています。 

朱雀(Wikipedia)

朱雀(すざく、すじゃく、しゅじゃく)とは、中国の伝説上の神獣(神鳥)で、四神(四獣・四象)・五獣の一つ。
南方を守護する。翼を広げた鳳凰状の鳥形で表される。朱は赤であり、五行説では南方の色とされる。

鳳凰(ほうおう)、不死鳥と同一視されることがあり、インド神話に登場するガルーダとの類似も指摘されている。
また、フェニックスに間違われることもある。


「朱雀」は、朱色の「朱」に孔雀の「雀」と書いて「しゅじゃく」とも呼ばれます。

ローマ人が水瓶座をクジャクやガチョウなどさまざまに解釈したことを考え合わせると、この鳥も同じ起源である可能性がありそうです。

なお 「鳳凰」については、ニコニコ大百科 「鳳凰」から一部引用させていただきました。
鳳凰(ほうおう)とは、中国の伝説上の霊鳥である。


概要。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。。

「鳳」は雄鳥(おんどり)を、「凰」は雌鳥(めんどり)を表し、古くは「朋」と呼ばれた。
360種の羽を持つ動物の長であり、聖天子の治める平和な世にのみ姿を現すとされる。

鳳凰が飛ぶ時には、その徳によって雷も嵐も起こらず、河川も溢れず、草木も揺れないという。
そして、鳳凰が空を飛べば、他の鳥もその後をついて飛び、鳳凰が死ねば多くの鳥が嘆き悲しんだという。

古代中国の書物『礼記』では麒麟(きりん)・亀(霊亀)・龍(応龍)とともに特別な瑞獣四霊」(もしくは四瑞)のひとつであり、平安を表すとされた。→(次ぺージ「青龍、白虎、朱雀、玄武」も参照)

これは鳳凰が雌雄一対であることから、陰と陽の対立を持って調和をなすとする陰陽思想から来ている。


姿かたち
孔雀に似ていて、5色に輝く美しい鳥詳しい容姿については諸説ある。


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              伊藤若冲 (いとうじゃくちゅう)『日出鳳凰図』 (作画:はくはくさん)


鳳凰と朱雀、フェニックス

鳳凰は本来風をつかさどる瑞獣とされたが、「万物は木・火・土・金・水の5種類の元素から成る」とする五行思想の流行後は四方をつかさどる神獣のうち南方を守護する「朱雀」と同一視され、火の属性を持つと見られるようになった。

このため、フィクションなどで鳳凰がモチーフにされる際にも、火にからめて描写されることが多い。

またこのことから、西洋の不死鳥である「フェニックス」と混同されることもある
南天の星座である「ほうおう座」は "Phoenix" の訳語に「鳳凰」をあてたものであるが、本来の鳳凰とは関係がない。



なお、余談ですが検索エンジンで「鳳凰 画像」と入れて検索すると、真っ黒いカラスを水がめ座の象徴とする日本人にはうらやましいくらい、きれいな鳥の画像がいっぱい出てきます。

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前ページに掲載した水瓶座と太陽の写真からイメージしていただけると嬉しいのですが、

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東に昇る太陽が地平線を黄金色の光で染めるとともに、その上空にあった3本足の烏である水瓶座もまた、金色に染まって見えたのではないでしょうか。また、水がめ座と共に昇る太陽は、この鳥の背に乗って天空を移動するように見えたのかもしれません。

これらのことを照らし合わせると、いよいよヤタガラスは水がめ座の象徴であったに違いない と思えてくるのです。

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ところで、ヤタガラスの画像を探していたら、偶然面白いニュースを見つけたのでちょっと横道にそれようと思います。3本足のヤタガラスが、本当に存在していたというびっくりするようなお話です。

3本脚の「ヤタガラス」を捕獲、神話裏づけ 島根・出雲産大

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                        写真=世界で初めて公開されたヤタガラス
           

島根県立出雲産業大学農学部は31日、足が3本あるカラスの捕獲に成功したことを発表し、世界で初めて報道陣に公開した。日本神話にも登場するこの3本脚のカラスは「八咫烏(ヤタガラス)」の名で知られており、長らく自然界には存在しないと言われてきた。出雲産大では今後つがいとなるメスのヤタガラスの捕獲を急ぎ、人工繁殖につなげたいとしている。

 オスのヤタガラスを飼育しているのは、農学部の秋鹿大和(あいか・やまと)教授の研究グループ。今年3月、生ゴミ置き場に集まっていたカラスの中に脚が3本の個体がいることに気づいた市の清掃員が同大に持ち込んだ。その後秋鹿教授による遺伝子解析の結果、一般的なカラスとは別種の個体であることが判明。日本神話に登場する3本脚のカラス「ヤタガラス」の可能性が高いと結論づけた。

 ヤタガラスは『古事記』や『日本書紀』に記述が見られる3本脚のカラスで、太陽の化身とされる。特に『日本書紀』では、神武天皇が東征する際、ヤタガラスが熊野国から大和国までの道案内をしたという逸話が有名だ。また現在では日本サッカー協会(JFA)のシンボルマークにもヤタガラスのイラストが使われている。・・・・・・




春分に水がめ座が昇るこの時代に、3本足のカラスが出雲という特別な場所に現れたのは、何か象徴的な感じもします。

もしかすると、昔、日本人が3本も足のあるこのカラスを偶然見つけたので、本来アジアでは金色や赤などの太陽をイメージさせる派手な色であったこの鳥を、真っ黒いカラスに変えてしまったのかもしれません。

「ガルーダ」の派手な色彩についてはこちら・・・世界のあちこちに見かける「鳥頭」の神


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 昨日のつづきです。

ちなみに、「鳶」(とび)という鳥がどんな鳥かよくわからなかったので調べてみると、「タカ目タカ科に属する鳥類の一種」だそうで、やっぱり猛禽類の鳥だということが分かりました。関西でいう「トンビ」のことだそうです。

「ピーヒョロロロロ…」という鳴き声でよく知られている鳥だと聞いて、「ああ、あれか」と思い出しました。


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トンビって、初めてアップで写真で見るとまるで鷹かワシみたいですね・・・。                                

ちなみにWikipediaでは、「三足烏」(さんそくう、さんぞくう)という項目があったので調べてみました。

三足烏(さんそくう、さんぞくう)は神話や絵画などに見られる三本の足を持ったカラスのこと
アジア、アナトリア半島、北アフリカなどに見られる。

烏を太陽の象徴とする神話は、マヤ文明でも見られ、黒い烏は太陽の黒点を表しているという説もあるが、三本足のものは東アジア特有である。


      300px-Threeleggedbird_han_dynasty.jpg
           漢代の壁画。右が火烏(三足烏)。



三足烏の意味


東アジアでは三足烏の足が3本なのは、陰陽では偶数を陰、奇数を陽とするが、3は奇数であり太陽と同じ陽となるからだといわれている。


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~各国の神話~


鳥の神話は、世界に広がっており、太陽と関連付けられていることが多い

〈中国〉

三足烏(さんそくう、さんぞくう、拼音: sānzúwū サンズゥウー)は、中国神話に登場する烏で、太陽に住むとされ(ただし他の神話もある)、太陽を象徴する

日烏(にちう、拼音: rìwū リーウー)や火烏ともいい、月の兎の月兎と対比される。しばしば3本の足をもつとされ、三足烏とも呼ばれる。

また、金色という説もあり、金烏(きんう、拼音: jīnwū ジンウー)とも呼ばれる。なお三足烏の「金烏」の絵は、日本の1712年(正徳2年)刊の「和漢三才図絵」の天の部の「日」の項にも認められる。

太陽に住んでいるとされ、太陽黒点を元にした神話であるとする説もある(中国では漢代までには黒点が発見されていた)。ただし太陽にいるのは金鶏(きんけい)であるとの神話もある。

また別の神話では、太陽は火烏の背に乗って天空を移動する。ただしこれに対し、竜が駆る車に乗っているという神話もある。


このような物語もある。

大昔には10の太陽が存在し、入れ替わり昇っていた。

しかし尭帝の御世に、10の太陽が全て同時に現れるという珍事が起こり、地上が灼熱となり草木が枯れ始めたため、尭帝は弓の名手羿に命じて、9つの太陽に住む9羽の烏を射落とさせた。

これ以降、太陽は現在のように1つになった。」
(『楚辞』天問王逸注など)


〈朝鮮〉

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太陽の中に描かれた三足烏の高句麗の壁画。左は竜、右は鳳凰。


三足烏(삼족오 Samjokgo サムジョゴ)は高句麗の建国神話などに見られる。また、火烏ともする。『淮南子』に「昔、広々とした東海のほとりに扶桑の神樹があり、10羽の三足烏が住んでいた……」と見える。

扶桑は古くは高句麗のあった地域とされ、この10羽の3本足の烏が順番に空に上がり、口から火を吐き出すと太陽になるという。 また「日中有烏 而月中有蟾蜍」との記述もあり中国の3本足烏は太陽そのものの象徴であった。『芸文類聚』にも記述されている。

高句麗の天孫は、三足烏の羽根を飾った父(太陽の化身)により身籠もった卵から生まれ、三足烏は王族の象徴であるとされる。古墳壁画にも3本足の烏三足烏が描かれている。


〈日本〉

詳細は「八咫烏」を参照
日本では三足烏が八咫烏(ヤタガラス)と呼ばれ同一視される
神武東征において神武天皇を導く役割を与えられている。


〈その他〉

三足烏はエジプト神話の壁画に見られる。これはリュキアやパンフィリアの三足巴から考え出されたとされる。
また、ギリシャ神話のアポロンの烏である烏座を描いたものでは時にカラスが3本足の姿で描き表される


〈太陽の象徴と鳥〉

烏に限定しなければ、鳥を太陽の象徴とする神話が世界各地にあることがジェームズ・フレイザーにより指摘されている。たとえば、エジプト神話の太陽神ホルスは隼(はやぶさ)頭である。


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古来、三足烏(そんぞくう)であるヤタガラスが太陽を背景にして描かれることが多いのは、水瓶座の時代には、春分の日に太陽が真東から昇る直前に水がめ座が昇ってくることから来ているとも考えられそうです。 

(前ページ参照→「夜明けの一時間ほど前に、水瓶座が東の地平線から姿を現し、太陽が昇る位置の真上にくるのを目にするだろう。」)

             
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今日は、私がこのブログを読むにあたって、皆さんに注意してほしいことを書きます。
それは、このブログを読むのに抵抗のある方は、どうぞ読まないで欲しいということです。

人には誰でも、「考えたいこと」と「考えたくないこと」というのがあります。

たとえ、仮にそれが事実かもしれなくても、見たくないことは見ないで通り過ぎる権利は誰にでもありますし、(仕事上とか仕方のない場合を除いて)それが耐えられないというのであれば、なおさら考えないほうがいいと思います。
だから、このブログも「見たくない」と感じる方がいたら、ぜひその直感に従って欲しいと思います。

なぜなら、こういうブログを読んで皆さんがどういう気持ちになるのかを、私のほうでは知ることができないからです。(私の方では善意で書いていることでも、それが皆さんにとっては絶望をもたらすものであるかもしれません。)

このブログは、ご存知のように私の考える「世の終わり」とか、「死」とか、非常に怖いことについて書いています

私は若い頃に聖書に親しみ、小学生の頃に早くも「世の終わり」という概念に触れて育ってきたので、こういう概念には一種の「耐性」のようなものがあります。

また、輪廻転生の考えを受け入れ、前生療法・・・(催眠療法の一種で、自分の前生を思い出す療法)を何度も受けて自分で確かめてもいるので、生が一回限りのものではなく、連続しているものなのだということをある程度体験的に感じており、「死」ということばから感じる印象が、一般の方の思うようなものとは異なっていると思うからです。

・・・つまり、死というのは私にとって、連続した人生の中の通過点に過ぎないと思っているのです。(でも、だからといって天変地異や災害が怖くないわけではなく、肉体的苦痛とか恐怖という点ではそれは大いに怖いです。)

でも、このブログを読んでくださっている日本の方の多くはそうでないと思うので、無理に受け入れようとする必要もまた、ないと思います。

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この前置きを読んだ上で、それでも大丈夫と思う方は、どうぞ読んでくださいね!

それでは、次回からその「考えたくない」こととして、昨年から私の頭の中で点滅していることを書きたいと思います。

私は人々の恐怖を煽るつもりは毛頭ありませんが、以前から古代の歴史や謎に興味があり、また聖書に書いてあることが本当かどうか確かめたくってそれを追求していったら、たまたまそういう結論になってしまっただけだということです。


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いつもここの記事を見に来ていただいてありがとうござます。

以前からそうだったのですが、ここへのアクセスを見るとたくさんの方、それも関東圏だけでなく、もっと遠い地方の方までもが足跡をつけてくださっているのを見て、とても新鮮に感じると共に、ひそかに嬉しく思っておりました。

なぜかと言うと、私は今までmixiぐらいしかやったことがなかったので、いつも決まった範囲の決まった友人としか交流して来なかったからです。そういう環境の中に長く身を置くうちに、もっと思っていることを正直に発信したい、それももっと多くの方に…という気持ちが強くなりました。

その点、ブログだと発信するだけなのであまり交流はできませんが、不特定多数の人に記事を見てもらいたいという思いのほうは叶いました。また、私を個人的に知っている人がほとんどいない分、人にどう思われているか気にせずに書きたいことを書ける点がブログの大きな魅力だと思います。

また、SNSのように私を個人的に知っているからとか、付き合いで記事を読みに来てくれる人もあまりいないはずなので、アクセス数は本当にこの記事を読みたい人の数が反映されているのだと受け止めることができるからです。

その他このFC2ブログでは、どのページに一番アクセス数があり、どのページが少ないかなどもわかるので、皆さんの興味がどこにあるのかをおおまかに掴めますし、また私と同じような記事を載せているサイトなども参考に見るようになったので、今年はブログをはじめてから学んだことがたくさんありました。お陰さまで、充実したブログライフを過ごせたことを感謝したいと思います。


ところで、12月21日は何かが起こるではないかと私自身も少し心配していましたが、幸い世の終わりが来ることもなく無事に通過できたので、これからの一日一日は神様から余分に与えられた日々と思って大事に過ごしていきたいと思っています。

聖書によると世の終わりは「その日、そのときはいつか分からない、御使いでさえ知らされていない」ということなので、人間にはそれが「いついつである」というような特定はできないはずだというのがクリスチャン時代からの私の考え方でした。それが合っているのかどうかは私にはわかりませんが・・・

もしいつか来るのならば、願わくはその日が人類にとって悲壮な日なのではなく、今まで「人がまだ目に見ず、心に思いもよらなかった(想像すらできなかった)ような」栄光に満ちた日であるようにと願っております。

それでは皆様も良いお年を!(^_^)/ 


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・・・しかし私たちは、円熟している者の間では、知恵を語る。

この知恵は、この世の者の知恵ではなく、この世の滅び行く支配者たちの知恵でもない。

むしろ、わたしたちが語るのは、隠された奥義としての神の知恵である。

それは神が、わたしたちの受ける栄光のために、世の始まらぬ先から、あらかじめ定めておかれたものである。・・・・・・・

「目がまだ見ず、耳がまだ聞かず、人の心に思い浮かびもしなかったことを、
 神は、ご自分を愛する者たちのために備えられた」。

                    (コリント人への第一の手紙・2:6~9)



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